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【作品背景】女性の解放「人形の家」(イプセン)

その他の国の文学

近代演劇の父と称されるノルウェーの劇作家イプセンが、新たな手法によって、男性中心の社会に疑問を投げかけた革新的作品。

みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「人形の家」(イプセン)の作品背景をご紹介します。

あらすじ

夫、3人の子供たちと暮らしているノラ。一見幸せそうに見える暮らしぶりだが、夫が銀行の頭取に就任することから、歯車が狂っていく。夫が銀行の職員の中で解雇しようと考えている男・クロクスタ。ノラは、過去に夫が体調を崩した際、夫に内緒でその治療費を借金で賄っていた。しかも借用証書を偽造して。クロクスタはその証拠を握っているのだ。夫に口添えして解雇を止めさせないと、偽造を暴露すると脅されたノラは。

ヘンリック・イプセン(Henrik Ibsen、1828年3月20日 – 1906年5月23日)

1828年、ノルウェー南部の町・シーエンで生まれました。裕福な家庭で育ちましたが、彼が7歳の頃、父親の事業が失敗し、家族は経済的な困難に直面しました。16歳になると、薬剤師の見習いとして働き始めました。この頃から、詩や戯曲の執筆を始めます。

1851年、ノルウェー南西部の古都・ベルゲンで舞台監督兼劇作家として働くことになり、この時期に劇作家としての基礎を築きました。彼はこの劇場で多数の作品を書き上げ、舞台演出の技術を磨きました。1864年、ノルウェーを離れ、イタリアのローマに移住しました。国外での生活は27年に及び、彼の創作に大きな影響を与えました。

初期はロマン主義的な作品『ペール・ギュント』などを手掛けましたが、徐々に現実主義へと移行し、1879年、『人形の家』を発表します。当時の社会制度を批判したこの作品は、ヨーロッパ中で大きな論争を引き起こしました。

その後も、社会の矛盾や人間関係の深層を描いた作品を次々と発表しました。彼の作品はしばしばタブーに挑み、当時の観客や批評家から賛否両論を呼びました。しかしこれらの作品を通じて、彼は近代演劇の革新者としての地位を確立しました。
晩年ノルウェーに戻り、1906年、クリスチャニア(現在のオスロ)で亡くなりました。

19世紀後半のヨーロッパにおける女性の地位

『人形の家』が初演されたのは1879年です。この時代、ヨーロッパ全体では産業革命が進み、社会の急速な変化が進行していました。しかし、家庭における男女の役割や女性の権利に関しては、保守的な考えが強く、女性は家庭の中に閉じ込められていました。

ノルウェーを含む北欧諸国における女性の権利も、現在と比較すると非常に限定的でした。当時の女性たちは、社会的にも法律的にも男性に従属した存在とみなされていて、特に家庭生活における役割が厳しく規定されていました。現在の北欧諸国が、男女平等や女性の権利擁護において世界をリードしているのに対し、19世紀後半の状況は大きく異なっています。以下、具体的な違いをいくつかの側面で比較してみます。

法的な地位

結婚した女性は、夫の保護下に置かれ、法的な権利を持つことがほとんどできませんでした。財産の管理や契約の締結など、法的な決定権は夫にあり、女性はこれらの権利を行使できませんでした。未婚の女性に関しても、父親や他の男性親族の監督下に置かれることが一般的でした。
一方現在では、女性は完全に独立した法的主体として扱われ、財産権や契約締結権など、男性と同等の法的権利を持っています。ノルウェーやスウェーデンでは、男女平等のための強力な法律が整備されており、職場や家庭、公共の場での権利保護が徹底されています。

教育の機会

    教育の拡充が進みつつありましたが、女性の教育機会は依然として制限されていました。特に高等教育や専門職に就くための教育は、男性に比べて圧倒的に少なく、女性は主に家事や育児に必要とされる、基礎的な教育を受けるに留まりました。
    一方現在では、北欧諸国は教育の平等性で知られ、女性があらゆるレベルの教育を受けられる社会が築かれています。女性の大学進学率も高く、様々な分野で女性が活躍しています。また、教育制度自体も男女平等を重視した内容となっており、性別に関係なく平等に機会が提供されています。

    職業の自由

      女性が職業に就くことは非常に限られていました。多くの女性は家事や子育てを中心とした役割を期待されており、外で働く女性は少数派でした。低賃金の労働や家事補助など、限られた職業の選択肢しかなく、専門職や公職に就くことはほぼ不可能でした。
      一方現在では、女性の就職率は高く、政治や経済の分野でも女性が指導的な役割を果たしています。また、労働市場における男女平等の確保のための政策も充実しており、女性が仕事におけるキャリアを追求しやすい環境が整っています。日本と違い、ノルウェーでは「専業主婦=失業者」と見なされることがあるとか。

      政治への参加

        女性には選挙権も被選挙権も与えられていませんでした。政治は完全に男性の領域であり、女性が政治的な意思決定に参加することは事実上不可能でした。女性の政治参加は、徐々に社会運動の中で議論されるようになり、20世紀初頭にようやく選挙権が認められました。
        一方現在では、北欧諸国は世界的に見ても女性の政治参加が高い地域です。国会議員の女性比率が50%に迫る国があり、多くの女性が政治に関わっていて、女性の政治的影響力が強くなっています。

        近代演劇の父

        イプセン以前の劇作家たちは、歴史劇やラブロマンスなどのロマンチックな世界を、大きなスケールで描いていました。それに対しイプセンは、日常生活のリアルな問題や、タブー視されていた社会問題に焦点をあてました。さらに、登場人物が抱える現実的な苦悩を、閉鎖的な環境の中で、深く掘り下げていきました。演劇として扱うテーマや形式に大きな変革をもたらしたのです。

        『人形の家』の中心的なテーマは「女性の権利」と「自己決定」です。ノラは、当時の社会において多くの女性が直面していた苦悩を象徴していて、彼女が夫や社会制度に逆らって自分の人生を選び取る姿には、イプセンの強い思いが込められています。

        また、結婚や家族という制度の中での男女の不平等に対する批判も含まれています。夫のノラに対する態度は、彼女を対等なパートナーとしてではなく、所有物や飾り物として扱うものであり、これが最終的にノラの自己決定を促すきっかけとなります。

        作品の結末は、当時の道徳観や家族制度に対する挑戦と受け取られ、議論を巻き起こしました。多くの観客や批評家は、この結末が「家族の崩壊」を象徴するとして批判しましたが、一方で、これを女性の権利と自己決定の象徴的な行動と評価する批評家もいました。
        『人形の家』が女性の権利獲得運動に与えた影響は大きく、現代でも多くの国で上演され、人々にメッセージを伝え続けています。

        A Doll’s House

        愛する夫のためについた嘘。しかし、その嘘のため身動きが取れなくなってしまうノラ。嘘がバレた時、優しかった夫の仮面が剥ぎ取られ、男の本性が露見する。幸せだと思ってた自分の生活、家族との生活。それが小さな家の中に閉じ込められている人形のような生活だったと気づいた時、ノラは覚醒します。本当の自分、あるべき姿の自分とは何かに。

        今から140年以上前、ひとりの女性が立ち上がり、その後の社会を変えていきます。イプセンが思いの丈を詰め込んだ、張り詰めた緊張感を感じてみてください。

        以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。

        2024年5月、東京・銕仙会能楽研修所で上演された「ノラ-あるいは、人形の家‐」の台本。最新の日本語訳で読みやすい。KindleUnlimitedでも利用可能。

        戯曲の読み方

        読み慣れていない人にとって、最初は少し難しく感じるかもしれませんが、コツをつかめば楽しめるようになります。戯曲は、小説とは異なる形式やリズムがあり、演劇の台本として書かれているため、視覚や音声を通じて理解することが重要です。以下に、戯曲を楽しむためのいくつかのアドバイスを紹介します。

        ト書きを読む

        戯曲の冒頭には「ト書き」と呼ばれる部分があります。ここには、場所・日時・舞台装置などの説明や、登場人物に対する動作の指示が書かれています。ト書きを読むことで、場面のイメージがつかみやすくなります。

        舞台のイメージを頭に描く

        戯曲には、登場人物の動きや表情などが描かれていないことが多いので、自分の頭の中でそれを想像することが大切です。登場人物がどのように動いているのか、どんな表情をしているのかを考えながら読むことで、物語がより立体的に感じられるでしょう。

        登場人物の関係性に注目する

        戯曲は、登場人物同士の会話や行動を通して物語が進みます。まずは、誰と誰がどういう関係にあるのかを整理することが大切です。登場人物の性格や立場を理解することで、会話の意味が分かってきます。もし人物関係が分かりづらい場合は、関係図を自分で書いてみるのも一つの方法です。

        対話に集中する

          戯曲の中心を成すのは、登場人物の会話です。会話の中には、その人物の性格や感情が含まれています。会話のリズムや言葉遣いに注目してみましょう。どの人物がどのような言葉を使うのか、それが他の人物にどのように影響しているのかを意識すると、物語の展開がより理解しやすくなります。

          実際に声に出して読んでみる

            戯曲はもともと演じるためのものなので、声に出して読むと、登場人物の感情が分かりやすくなります。友達や家族と一緒に、役を割り振って読んでみるのも面白い方法です。声に出して読むことで、言葉の力や会話の緊張感をよりリアルに感じることができます。

            演劇作品を観てみる

              実際の舞台を観ることもおすすめです。戯曲がどのように舞台上で表現されているかを見ることで、読み方が変わり、理解が深まることがあります。特に、難解な古典作品や象徴的な表現が多い戯曲の場合、演じられている姿を見ることで、登場人物の感情やテーマがより明確になるでしょう。

              戯曲は、小説とは異なる独特の楽しみ方があります。想像力を働かせ、登場人物の動きや心情を感じながら読むことで、物語の魅力を存分に味わえるようになるでしょう。

              参考文献

              人形の家 毛利三彌

              「ほんとうのイプセン」ウィリアム・アーチャー
              https://prj-kyodo-enpaku.w.waseda.jp/prj-kyodo-enpaku/trans/modules/xoonips/detail_id_2010eng01.html

              『人形の家』における「人間精神の革命」について 南 コニー
              https://kobe-c.repo.nii.ac.jp/records/5803

              ローマのスカンジナビア協会におけるイプセンの演説 中村都史子
              https://ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/bg/498

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