ブロードウェイでロングランヒットを記録した、アメリカを代表する戯曲作家テネシー・ウィリアムズの出世作。
みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「ガラスの動物園」(テネシー・ウィリアムズ)の作品背景をご紹介します。
あらすじ
大恐慌時代のアメリカ・セントルイス。母アマンダ、姉ローラとともに小さなアパートで暮らすトム。息苦しい生活から抜け出そうとするトムは、たびたびアマンダと衝突する。内気なローラのために、トムの同僚ジムをアパートに招いたことから、家族の間に亀裂が入っていく。
作品の詳細は新潮文庫のHPで。

トマス・レイニア・ウィリアムズ
「テネシー」はペンネームです。南部訛りで話すことから、セントルイス時代の友人たちに付けられたそうです。
1911年、アメリカ南部ミシシッピ州コロンバスで生まれました。祖父が牧師だったため、祖父母、両親、姉弟とともに、牧師館で育ちます。セールスマンだった父親は留守がちで、酒と賭博好き。両親の夫婦仲は悪かったのですが、2歳上の姉ローズとはとても仲が良かったそうです。

8歳の頃、父親の仕事の関係でミズーリ州セントルイスに転居しますが、新しい環境になじめませんでした。のどかな南部ミシシッピ州で暮らしていたときは、特権階級的な生活でしたが、工業の街セントルイスでは、薄暗いアパート暮らしで、友だちもできず、家に引きこもる日々が続きました。こうした体験が、後の作品に多大な影響を与えることになりました。
1929年にミズーリ大学に進学するものの、大不況が原因で中退。靴会社に就職しますが、多忙により身体を壊し、3年で退職。退職後、ワシントン大学に入学し演劇活動に取り組みますが中退。その後アイオワ州立大学に編入し、執筆活動に本腰を入れ始めた時、父親の判断で、姉ローズがロボトミー手術(前頭葉白質切断術。精神障害の治療として、脳の神経回路を他の部分から切り離す外科手術。)を受けさせられてしまいます。ローズは術後廃人同様に。これにより、父に対し生涯恨みを抱き続けるようになりました。

大学卒業後の1944年、『ガラスの動物園』がシカゴで上演されると評判を集め、ブロードウェーに進出、ロングランヒットになります。その後『「欲望という名の電車』(1948年)『やけたトタン屋根の上の猫』(1955年)の2作品でピューリッツァー賞を受賞し、アメリカを代表する劇作家としての地位を確立しました。
秘書でありパートナーだったフランク・マーロ(テネシーは『回想録』(1975年)でゲイをカミングアウトしています)が亡くなると、アルコールへの依存やドラッグの使用が頻繁になり、1983年、ニューヨークのホテルで、事故死しました。
セントルイスのカルヴァリー墓地に、母・弟そして最愛の姉ローズとともに埋葬されています。(父親だけ別の墓地に埋葬されています)
セントルイス
作品の舞台になっているセントルイスは、18世紀、フランス人入植者により、ルイ9世(聖王)にちなんでサン=ルイ(英語ではセント=ルイス)と名付けられた、アメリカ・ミズーリ州東部の商工業都市です。ミズーリ川とミシシッピ川の合流地点であるという地の利を活かして、水上交通の要衝として発展しました。
20世紀初頭には、万国博覧会、ならびに北米大陸で初めてのオリンピックが開催され、注目を集めました。

その後1920年代のアメリカは「狂騒の20年代」といわれる空前の好景気に沸きますが、1929年10月24日「暗黒の木曜日」を境に、大恐慌時代に突入していきます。
セントルイスは、アメリカ南部的な文化が色濃く残る土地でもあり、ウィリアムズの家族のような中流階級の家庭も多く存在しました。一方で、急速な都市化により、貧困層の増加や社会格差の拡大が問題になっていました。ウィリアムズ自身も幼少期をセントルイスで過ごし、この街の雰囲気や社会情勢が『ガラスの動物園』に影響を与えています。
万国博覧会開催を控えたセントルイスを舞台にしたミュージカル映画。当時のヒット曲満載で、古き良きセントルイスを堪能できます。
「若草の頃」(1944年・アメリカ)
監督:ヴィンセント・ミネリ
出演:ジュディ・ガーランド
大恐慌時代のアメリカ庶民の生活
世界恐慌後のアメリカでは、多くの人々が失業し、貧困に苦しみました。銀行を始めとする企業の破綻が相次ぎ、中流階級の家庭も経済的に困窮することが珍しくありませんでした。食料や衣服を十分に手に入れることが難しくなり、質素な生活を強いられました。
また、社会的な価値観も変化し、従来のアメリカン・ドリームへの信頼が揺らぎました。特に都市部では、スラム街の拡大や失業者の増加が深刻な問題となり、社会の不安が高まっていました。
ウィングフィールド家の人たちが住んでいるのは、セントルイスの裏通りに面した安アパートで、建物へ出入りするには、非常階段を昇り降りしなければならないと描かれています。当時の庶民がどのような暮らしぶりだったのかが垣間見えます。
『ガラスの動物園』が発表された1940年代は、第二次世界大戦の最中でした。戦争による社会不安や価値観の変化も、登場人物たちの心理に影響を与えていると考えられます。
姉ローズとガラスの動物園
父親の暴力、絶えない両親の喧嘩など、ウィリアムズの家庭は多くの問題をかかえていました。そのような状況の中、姉ローズは精神を病み、ほとんどの時間を精神病院で過ごしました。ウィリアムズがアイオワ州立大学に在籍して実家を離れていた時に、ローズのロボトミー手術が実施されました。大好きな姉を救えなかった自責の念は、ウィリアムズを生涯苦しめることになります。

登場人物のローラは姉ローズ、アマンダは母、そしてトムはウィリアムズ自身がモデルです。
いさかいが絶えないトムとアマンダ。常に自分よりもふたりを気遣い仲裁に入るローラ。
ストーリー全体を覆う息苦しいほどの閉塞感。
そしてユニコーンは砕け散る。
姉ローズの術後に発表された『ガラスの動物園』。
この作品に込められた、家族への思い、姉への思い、そして自分自身に向けられた自責の念。鬱屈したウィリアムズの苦悩を感じてみてください。
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
公演情報
来週、新国立劇場で公演があります。

参考文献
テネシー・ウィリアムズ作品におけるCONFINEMENT IMAGERYについて―『ガラスの動物園』と『欲望という名の電車』及び『二人だけの芝居』の考察 ― 吉川和子
トムとローラの優しい関係:The Glass Menagerieを今日の日本の文脈で読み解けば 山下興作
『ガラスの動物園』―ユニコーンの角が折れたとき― 中島祥子
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