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【作品背景】エヴァよ永遠に「アンクル・トムの小屋」(ハリエット・ビーチャー・ストウ)

アメリカ文学

19 世紀アメリカにおいて、聖書に次ぐベストセラー。奴隷制度廃止に多大な影響を与えた奇跡の書。

みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「アンクル・トムの小屋」(ハリエット・ビーチャー・ストウ)の作品背景をご紹介します。

あらすじ

ケンタッキー州。農場を経営するシェルビー家の黒人奴隷、農夫として働く初老のトムと、幼い息子ハリーを育てながらメイドとして働くイライザ。経営難に陥ったシェルビー家の主人は、トムとハリーを売ることにする。自分の運命に従い売られていくトム。愛する息子ハリーを連れて逃亡することを決意するイライザ。奴隷制が認められている理不尽な社会に翻弄されながら、別々の道を歩むトムとイライザは…。
アメリカ南部における奴隷制度の実情をリアルに描き、リンカーン大統領の奴隷解放政策に多大な影響を与えたといわれる奇跡の書。

作品の詳細は、光文社古典新訳文庫のHPで。

『アンクル・トムの小屋(上)』ハリエット・ビーチャー・ストウ/土屋京子訳
奴隷制度に翻弄される黒人たちの苦難を描く 米国初のミリオンセラー小説、待望の新訳・全訳。 作品

ハリエット・エリザベス・ビーチャー・ストウ

1811年、アメリカ・コネチカット州で生まれました。奴隷制反対論者であった父親の影響を受けて育ちます。姉が開校した学校に入学し、男子と同等の教育を受けました。

1832年、オハイオ州シンシナティに移住します。この地は、南部奴隷制を採用していた南部州と川を一本隔てただけの位置にあり、逃亡奴隷を北部州に逃がす拠点となっていた場所でした。奴隷たちの悲惨な状況を目の当たりにしたハリエットは、奴隷制反対の立場を鮮明にします。1836年、聖職者のカルヴィン・ストウと結婚、夫の転勤でメイン州ブランズウィックに移住しました。

『アンクル・トムの小屋』初版表紙
出典:wikipedia

1850年逃亡奴隷法が成立すると、翌年、抗議の意味を込めて『ナショナル・エラ』誌で『アンクル・トムの小屋』の連載を開始します。非人道的な奴隷制を告発したこの作品は連載中から注目を集め、1852年に単行本として出版されるやいなや、爆発的な売れ行きを示し、空前のベストセラーになりました。

この作品の反響は大きく、奴隷制反対の北部州と奴隷制維持の南部州との間に対立を引き起こしました。1860年、奴隷制反対のリンカーンが大統領に就任すると、南部11州が合衆国を離脱、南北戦争に突入していきました。

南北戦争中、ハリエットに会ったリンカーンが「あなたのような小さなご婦人が、この大きな戦争を引き起こしたのですね」と語りかけたという逸話が残っています。真偽のほどは定かではありませんが。

南部州を中心とした奴隷制擁護派などから激しい批判にさらされ、中には脅迫まがいのものもありました。それでも奴隷解放に尽力し続けたハリエットは、1896年に亡くなりました。85歳でした。

ジョサイア・ヘンソンと地下鉄道

ハリエットが作品を執筆するにあたり、影響を受けた人物がいます。ジョサイア・ヘンソンです。奴隷としてケンタッキー州の農場で働かされていた彼は、主人の横暴に耐え兼ね、妻と子供たちを連れて逃亡します。途中「地下鉄道」の力を借りながら、1000㎞近くの距離を徒歩で移動し、カナダのオンタリオ州にたどり着きました。

その後は、キリスト教の教えを説き、奴隷の解放に尽力しました。ハリエットは、彼の自叙伝「ジョサイア・ヘンソンの生涯」に刺激を受け、『アンクル・トムの小屋』の出版前に、実際にヘンソンに会っています。

「地下鉄道」とは地下を走る鉄道ではなく、奴隷の逃亡を手助けする組織のことです。アメリカ北部の自由州やカナダへの逃亡を図る奴隷たちに、隠れ家・逃亡経路・乗り物などを秘密裏に提供しました。個々の拠点(停車駅)から次の拠点(停車駅)をネットワークでつないでいました。協力者たちは、自分たちの拠点についてのみ活動し、他の拠点については関わらないというシステムでした。したがって、逃亡奴隷たちの逃亡経路全体を把握している者はいませんでした。

1830年から1865年にかけての地下鉄道の経路図
出典:wikipedia

「鬼滅の刃」をご存じの方であれば「隠」のシステムと同様の仕組みと言えば、わかりやすいかも知れませんね。正確な数はわかっていませんが、10万人近くの逃亡奴隷を助けたと推測されています。この活動には教会などの宗教組織も協力し、奴隷制度廃止運動の一翼を担いました。

逃亡奴隷法

「逃亡奴隷法」はふたつあり、その成立過程とともに簡単に内容を紹介します。ハリエットが『アンクル・トムの小屋』を書くきっかけとなったのは、1850年に制定された「逃亡奴隷法」です。

そもそもアメリカ合衆国憲法には奴隷制について記載された条項はありませんでしたが、第4条第2節に

ある州で法律の下で労働の義務を負う者が、他の州に逃亡したとき、逃亡先の州の法律に従って解放されることはない。逃亡先の州はそのものに労働を課す権利を持つ者の請求に応じて、逃亡者を引き渡されねばならない

と規定されていました。奴隷を規定しているわけではないのですが、この条項は「逃亡奴隷条項」と呼ばれました。

この「逃亡奴隷条項」に基づき、1793年、アメリカ連邦議会において「逃亡奴隷法」が成立し、逃亡奴隷に対し「本来の所有者から引き渡し要請があった場合、判事は裁判なしで処遇を決定できる」とされました。

19世紀になると、アメリカ南部の綿花栽培は一大産業に発展し、世界市場の7割超を占めるようになります。それとともに奴隷の労働力はより重要なものになり、奴隷の逃亡防止強化が求められるようになりました。そして1850年、新たな「逃亡奴隷法」が制定されます。逃亡奴隷の処遇に対する権限が判事から保安官に移り、褒賞金や罰金が定められました。また、逃亡を助けた者も罰せられることになりました。

この法に抗議する意図でハリエットは『アンクル・トムの小屋』の執筆を始めたのです。

エヴァよ永遠に

この作品において、非人道的な奴隷制度に抵抗する力として、キリスト教の教えが描かれています。主人公のトムは聖書を学び、周囲の仲間たちにもその教えを説いていきます。そのようなトムが、魂の交流の素晴らしさを感じたのが、エヴァとの関係です。幼いながら清廉な心を持ったエヴァと過ごした日々は、トムに安らぎと信仰に対する深い理解を促すことになります。

理不尽な暴力に臆することなく、苦難を受け入れ、信仰への思いを曲げなかったトム。ハリエットは、このトムの姿を通して、キリスト教徒たちに訴えかけたのです。奴隷制度が、人間の尊厳を侵害するものであり、それに対抗するには愛に満ちた信仰が必要であることを。

『アンクル・トムの小屋』発表から170年以上経た現在。未だに人種差別や民族間の紛争がなくなったという状況ではありません。私自身はキリスト教徒ではありませんが、幼いエヴァがたどり着いた境地に、理性と良心で近づける術はあるのではないかと思っています。

ちなみに、作品発表直後に生まれた多くの女の子に、エヴァという名前つけられたそうです。

以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。

参考文献

語り継がれる『アンクル・トムの小屋』-地下鉄道と『ビラヴィッド』と 加藤光男
H・B・ストウの『アンクル・トムの小屋』におけるエヴァのキリスト教について 森田美千代
アンクル・トムをメソジストとして描いたストウの戦略 宮城妙子
『アンクル・トムの小屋』再考-「法破り」に見る小説戦略 福岡和子

ジョサイア・ヘンソン ―「アンクル・トムの小屋」誕生のきっかけを作った男
アメリカン・ビュー(アメリカ大使館公式マガジン)

ジョサイア・ヘンソン ―「アンクル・トムの小屋」誕生のきっかけを作った男
皆さんはおそらく、ハリエット・タブマンという名前を聞いたことがあるでしょう。「地下鉄道」と呼ばれる地下トンネル…

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