世紀末のロンドンを舞台に、並外れた美貌を持つ青年ドリアン・グレイをめぐって繰り広げられる、情欲の世界。
みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「ドリアン・グレイの肖像」(ワイルド)の作品背景をご紹介します。
あらすじ
並外れた美貌を持つ青年ドリアン・グレイ。友人である画家バジルのモデルになり、肖像画を描いてもらう。快楽主義者ヘンリー卿の言葉に感化されたドリアンは、堕落した生活に染まっていく。「自分の身体は若さを保ち、肖像画が歳をとってくれればいいのに」と言い放ったドリアンが罪を重ねると、肖像画に変化が。
作品の詳細は、新潮社のHPで。
オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド
医師である父、詩人である母のもと、アイルランドのダブリンで生まれました。奨学金を得るなど、優秀な成績でダブリン大学へ進学し、その後オックスフォード大学に進みます。特に古典語が得意だったと言われていて、オックスフォード大学を首席で卒業します。
大学在学中から詩集を発表し、また欧米諸国を巡りました。詩集の他に、児童文学「幸福な王子」や戯曲「サロメ」などの作品を発表するとともに、雑誌の編集者としても成功をおさめ、文壇の寵児となります。
私生活においても美を探求したワイルドは、男女を問わず恋愛対象ととらえ、結婚後も、浮名を流します。
16歳年下のアルフレッド・ダグラス卿と付き合った際、自分の息子を心配するダグラス卿の父親に男色を咎められ、訴えられます。
敗訴したワイルドは、投獄され財産を没収されてしまいました。刑期を終え出所したワイルドに対する世間の目は冷たく、失意の中、病に冒され、46歳で亡くなりました。
耽美主義
ワイルドは耽美主義の代表的な作家と言われます。では、そもそも耽美主義とはどのようなものなのでしょうか。
道徳的な教訓を盛り込んだり、社会や政治に対するメッセージを込めたりするのではなく、ただ単純に美しい存在、その美しさに価値を見出すという姿勢を指します。
19世紀後半の世紀末思想と結びついて、様々な芸術分野に広まっていきました。
ヴィクトリア朝後期のロンドン
作品の舞台となっている19世紀末ヴィクトリア朝のロンドンは、どのような状況だったのでしょう。
世界に先駆けて産業革命を成し遂げた大英帝国の中心都市として、最盛期にありました。また、世界中から人々が集まり、人口が急増したことにより、仕事に就けない貧困層や移民層によってイーストエンド地区にスラム街が形成され、売春や犯罪が横行するようになっていました。
有名な「切り裂きジャック」事件が起こったのもこの頃です。
「霧の都」として有名なロンドンですが、その由来は、この時期、フル稼働していた工場から排出される煙で、街が昼間でも曇っていたことによるそうです。がっかりですね。
また、ヴィクトリア朝の特徴として規律やモラル重んじる志向が強かったことが挙げられます。
この時代を象徴する存在だったヴィクトリア女王とアルバート公夫妻が家族円満であったことも、その要因だと思われます。
ワイルドの投獄について「そこまでしなくても」と思うかもしれませんが、当時、男色は許されざるタブーだったのです。
時代に逆らいながらも、時代の寵児となり、そして消えていった才人。この作品は彼が遺した唯一の長編小説です。
うぶな青年だったドリアン。生真面目なバジル。そして巧みな話術であらゆる人々の心をもてあそぶヘンリー卿。世紀末のロンドンを舞台に繰り広げられる情欲の世界に沈み込んでみませんか。
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
コメント