【作品背景】これは文学か?これが文学だ!「ロリータ」(ナボコフ)

アメリカ文学
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恋愛小説であり、性愛小説であり、推理小説であり、ロードノベルでもある。ご存じ「ロリコン」の起源となった20世紀屈指の怪作。

ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。

みなさん、こんにちは。めくろひょうです。

今回は、「ロリータ」(ナボコフ)の作品背景をご紹介します。

あらすじ

ヨーロッパからアメリカに渡り、大学で教鞭をとっている中年男ハンバート。

とある罪で獄中にある彼は、罪を犯すまでの経緯を手記にまとめていた。そこに書かれていたのは、少女に対する中年男の倒錯した愛の遍歴だった。

ハンバートは、新たな下宿先であるヘイズ家で、女主人シャーロットの娘ドロレス(ロリータ)に出会う。

少年時代に死別したガールフレンドの面影を彼女に見い出したハンバートは、倒錯した愛にのめりこんでいく。

作品の詳細は、新潮社のHPで。

ウラジーミル・ナボコフ、若島正/訳 『ロリータ』 | 新潮社
「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。……」世界文学の最高傑作と呼ばれながら、ここまで誤解多き作品も数少ない。中年男の少女への倒錯した恋を描く恋愛小説であると同時に、ミステリでありロード・ノヴ

ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・ナボコフ

1899年、ロシア・サンクトペテルブルクで生まれました。父親は、ロシア革命において重要な役割を果たした政治家であり、裕福な家庭に育ちました。

ロシア革命が起きると、1919年イギリスに渡り、ケンブリッジ大学(トリニティ・カレッジ)で動物学(昆虫学者・彼が蒐集した蝶の標本は現在でも欧米数か所の博物館に所蔵されています)を学びました。

大学を修了すると、家族の住むベルリンに移り、文筆や教師などの仕事で生計を立てます。結婚後、1940年にアメリカに渡りました。(後に帰化)

Photo by Rod Long on Unsplash

ロシアに居住している頃から詩作を始めていたそうです。アメリカに渡ってからは、大学で文学の教鞭をとるかたわら、英語で小説の執筆を進めました。

1955年に小説「ロリータ」が国際的に評判となり、作家としての名声を手にします。

その後スイスに移住し、執筆活動に専念しました。1961年から亡くなった1977年まで、妻とともにスイス・レマン湖畔にある高級ホテル「モントルー・パラス」で暮らしました。

父親がナボコフに与えた影響

父親であるウラジーミル・ドミトリエヴィチ・ナボコフは、ロシア革命において重要な役割を果たした政治家でした。自由主義者であり刑法学者でもあった彼は、公正という価値観を重んじたといわれています。

ナボコフ(中央)とカデット党員たち パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

また、ロシア文学のみならず、フランス・イギリス・ドイツなどの西欧文学に対する造詣が深く、トルストイ、コナン・ドイル、H・G・ウェルズなど名だたる作家たちと交流があり、自宅に招待していたそうです。

父親の蔵書に囲まれて文学に親しみ、父親の思想である自由と公正に関心を持ったナボコフ。父親の存在が彼の創作活動に少なからず影響を与えたと言えるでしょう。ナボコフは、生涯父親を尊敬していたそうです。

「ロリータ」出版までの道のり

1940年に渡米したナボコフは、1948年から「ロリータ」の執筆にとりかかり、1953年に完成させました。しかし、主人公が性的倒錯者であること、文章や内容が難解なことなどにより、複数の出版社から発行を断られてしまいます。

なかなか出版することができませんでしたが、1955年、ようやくフランスの出版社オリンピアプレス社から発行することになります。しかしオリンピアプレス社は、ポルノグラフィの出版社として有名な会社でした。

つまり「ロリータ」はポルノグラフィ扱いで世に出たのです。

初版のカバー(1955年)パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

「ロリータ」がポルノグラフィの範疇におさまるような作品ではないことを見抜いた評論家や作家の紹介もあり、アメリカやイギリスでも相次いで出版され、ベストセラーとなっていきます。

オリンピアプレス社を率いたモーリス・ジロディアスは、アメリカやイギリスで発禁となった作品を出版するなど、反権力主義の編集者でした。彼の波乱万丈な人生を描いた作品も出版されています。(現在絶版)

難解なナボコフの文章

この作品は、ナボコフ独特の言葉遊びが満ち溢れていて、それが作品の評価を高めているひとつの要因です。

様々なテキストからの引用、暗喩。執筆当時の俗語や時事ネタ。大枠のストーリーには影響を与えない箇所での詳細な記述。ランバートが規定するロリータの定義は薄気味が悪くなりますし、一体何を語っているのかさっぱりわからないという部分もあります。

何度読み返しても意味のわからない記述は、飛ばしてしまっても構わないと思います。物語全体の面白さは損なわれないはずです。

ロシア語を母語とするナボコフが英語で記述した文章の日本語訳を読むわけですが、さぞ訳者の方は苦労しただろうと感じられます。「ロリータ」は、ナボコフ自ら翻訳したロシア語版も出版されています。英語・ロシア語に堪能な方は読み比べてみてはいかがでしょうか。(私には無理ですが)

図書新聞のサイトに、現在発行されている新潮文庫版の訳者・若島正氏が「ロリータの魅力」について語っている対談が掲載されています。翻訳にあたっての裏話などが楽しめます。

| WEB TshoShimbun:Review1 |

映像化作品

1962年、巨匠スタンリー・キューブリック監督によって映画化されました。ナボコフ自身が脚色を手掛け、アカデミー賞にノミネートされました。いい意味で、原作とは違うキューブリックの「ロリータ」(Amazon Prime Video で視聴可能)です。ナボコフの脚本は大幅に改編され、本人は完成後に不満を述べたそうです。

1997年、エイドリアン・ライン監督によって2度目の映画化。こちらの作品のほうが、原作に近い仕上がりになっています。

映画によって全体のストーリーを映像化することは出来ますが、ナボコフ独特の言葉遊びやハチャメチャな文章を映像で表現することは難しいですね。

我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。

この作品は、中年男の少女への思いを描いた恋愛小説です。また、12歳の少女への倒錯した性癖を描いた性愛小説でもあります。さらに、ハンバートの行く手に立ちふさがる謎の男を探し出す推理小説でもあります。縦横無尽に北米大陸をドライブする珠玉のロードノベルでもあります。

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このように、様々な側面を持ち、様々な楽しさを提供してくれるのですが、そこにナボコフが仕掛けた言葉遊びが加わって、とても読みづらい作品になっています。それこそが、20世紀屈指の怪作と呼ばれる所以なのですが。

物語の展開に直接関係のなさそうな部分は、深く考えず読み飛ばしてしまっても大丈夫です。卓越したナボコフの表現力を味わいながら、気に入ったフレーズを追っていくのも楽しいと思います。

そしてたどり着いたエンディング。再度冒頭部を読み返すことになりますよ。

以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。

【閲覧注意】実在した少女サリー・ホーナーの悲劇

ここからの記述は、「ロリータ」との向き合い方に影響を与える可能性があります。本作品読了後にお読みいただくことをお勧めします。

サリー・ホーナー パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

「ロリータ」を執筆するにあたり、ナボコフにインスピレーションを与えた実際の事件があります。
1948年アメリカ・ニュージャージー、50代の男性フランク・ラ・サールが、11歳の少女サリー・ホーナーを誘拐し、父と娘を装って、アトランティックシティ、ボルチモア、ダラス、カリフォルニアなど、アメリカ中を逃亡しました。フランクは、サリーが救出されるまでの2年間、性的虐待を続けたといいます。

逮捕されたフランクは、35年の懲役刑を宣告されました。
事件解決から2年後、さらに悲しい出来事が。サリーは交通事故で、その短い生涯を終えてしまったのです。
フランクは自身が亡くなるまで、毎週サリーのお墓に花を贈ったそうです。

参考文献

公益財団法人 東洋哲学研究所

「ナボコフの作品における円環構造とシンメトリーにまつわる形象のパターンについて」寒河江光徳氏

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