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【作品背景】「種の起源」(チャールズ・ダーウィン)

イギリス文学

現代生物学の礎となる進化論の基本的な考えを著した、自然科学における最重要文献のひとつ。

みなさん、こんにちは。めくろひょうです。

今回は、「種の起源」(チャールズ・ダーウィン)の作品背景をご紹介します。

内容

「種の起源」は小説ではありませんので、あらすじではなく、その要点を列挙します。

– 種の多様性と進化の原理:生物は種の起源に関して多様であり、それは自然淘汰による進化の結果である。

– 自然淘汰の概念:生物は環境に適応しようとする過程で、適応力のある個体が生存し、繁殖することで進化が起こる。

– 多様性の原因:生物の多様性は、種の間での遺伝子の異なりや環境への適応によって生じる。

– 地理的分布のパターン:似たような環境に生息する地域の生物は類似した特徴を持ち、これは生物が共通の祖先から進化してきたことを示唆する。

– 生物の共通の祖先:地球上の全ての生物は共通の祖先から進化したという仮説を提唱し、遺伝的類似性がその証拠となる。

– 種の形成:種は長い時間をかけて変化し、新たな種が進化する過程で自然淘汰が重要な役割を果たす。

– 進化の速度:進化の速度は生物の繁殖力や環境の変化によって異なり、種の進化は緩やかな変化から急速な変化まで様々である。

– 種の起源への異論への反論:「種の起源」は当時の科学界に大きな衝撃を与え、多くの異論を呼んだが、ダーウィンは従来の理論に対する反論を提供し、自然淘汰説の信憑性を支持した。

このように、「種の起源」は生物の多様性や進化の原理に関する包括的な理論を提唱し、生物学と科学の進歩に大きな影響を与えました。

作品の詳細は、光文社古典新訳文庫のHPで。

種の起源(上) - 光文社古典新訳文庫
進化学はすべての生物学の根幹をなしている。そしてそのすべてのルーツは『種の起源』初版にある。

チャールズ・ロバート・ダーウィン

1809年2月、イングランド・シュロップシャー州で生まれました。父親は医師、父方の祖父は博物学者、母親は、みなさんご存じの陶器メーカー・ウェッジウッド家の出身でした。子供の頃から自然に対する好奇心が旺盛で、父親から専用の庭を与えられていました。
1825年、エディンバラ大学に進学し、医学と地質学を学びます。しかし、血が苦手だったため医学に興味が持てず、動植物の研究に打ち込み、結局大学を中退してしまいます。
医師には向かないと判断した父親は、1827年、ダーウィンをケンブリッジ大学に入学させ、神学を学ばせました。しかしここでも、博物学や昆虫採集に没頭してしまいます。

ケンブジッジ大学 セントジョン・カレッジ
出典:wikipedia
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cambridge_-_St_John_College_-_New_Court.jpg

この頃、生涯の師となる博物学者ジョン・スティーブンス・ヘンズローと出会います。のちにダーウィンは、彼との出会いが、自分の研究にもっとも強い影響を与えたと振り返っています。
1831年、ケンブリッジ大学を卒業しますが、本人はのちの回想録で「学問的にはケンブリッジ大学もエディンバラ大学も得るものは何もなかった」と述べています。

同年、恩師ヘンズローの紹介で、イギリス海軍の測量船ビーグル号に、艦長の話し相手という立場で乗船します。この航海の中で、『種の起源』をはじめ、ダーウィンの進化論の理論構築の元となる様々な観察や研究がおこなわれました。5年に及ぶ航海を終え、1936年に帰国します。航海中に送った手紙をヘンズローは公開していて、ダーウィンは既に自然科学者の中で有名人になっていました。

マゼラン海峡を通過する「ビーグル」。(『ビーグル号航海記』より)
出典:wikipedia
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:PSM_V36_D770_Hms_beagle_in_the_straits_of_magellan.jpg

帰国後、ビーグル号の航海記をまとめながら、生物や地質に関する調査結果を発表しましたが、その頃から様々な身体の不調に苦しむことになります。
1839年、エマと結婚。ダーウィンの姉とエマの兄が夫婦という関係でした。信仰心が篤かったエマですが、ダーウィンの進化論に基づく宗教観を受け入れ、生涯夫を支えることになります。
同年、ビーグル号の航海記録が出版され好評を博します。その後も研究を続け、1859年に『種の起源』、1871年に『人間の進化と性淘汰』、などを発表し、最後の研究はミミズが土壌に与える影響についてまとめられています。

晩年に至っても精力的に研究に打ち込みますが、慢性的な身体の不調に苦しみました。1882年4月、イングランド・ケント州ダウン村の自宅で亡くなり、国葬が営まれました。王族以外で国葬がおこなわれる例は珍しく、ウェストミンスター寺院の、科学者アイザック・ニュートンの隣に埋葬されました。

チャールズ・ダーウィン肖像
投稿者作成

ニューヨーク・タイムズ紙はダーウィン死去の特集記事で「進化論を発見したのではなく、アリストテレスの時代からあった生物の疑問を科学的に解決したのだ」と掲載しました。

ビーグル号航海

ダーウィンの研究に多大な影響を与えたビーグル号の航海について、簡単にまとめておきます。

出航は1831年12月、帰港は 1836年10月、5年におよぶ航海でした。ちなみにダーウィンは航海中、船酔いに悩まされ続けたそうです。

ビーグル号の世界一周航路
出典:wikipedia
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Voyage_of_the_Beagle.jpg

イギリス南西部プリマスを出港
南米大陸東岸を南下しリオデジャネイロに立ち寄る
南米大陸南端フエゴ島からマゼラン海峡を通過
南米大陸西岸を北上
当時は囚人流刑地だったガラパゴス諸島上陸
※ダーウィンがガラパゴス諸島から持ち帰ったガラパゴスゾウガメは2006年に死亡 推定年齢175歳
太平洋を横断しニュージーランド~オーストラリアのシドニー
インド洋を横断しアフリカ大陸南端ケープタウン
南大西洋上のナポレオンが幽閉されていたセントヘレナ島
南米大陸東端を経由しイギリス南西部ファルマスに帰港

時計回りで世界を一周したことになります。

ダーウィンの進化論

ダーウィンが提唱した進化論は、大きく分けて3つの理論から成り立っています。その3つの理論について、簡単にご紹介します。

メインとなる主張

生物は不変のものではなく長期間かけて次第に変化してきた。ちなみに日本語だと誤解されやすいのですが、「進化」は「変化」を意味するものであり「進歩」を意味するものではありません。そしてその価値は中立、つまり特定の方向性がない偶然の変異によるものだとしています。

「種の起源」初版の表紙(1859年)
出典:wikipedia
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Origin_of_Species_title_page.jpg

自然選択説

生物の進化は、親から子へ変異の一部が伝えられ、その変異の中には生存と繁殖に有利に作用するものがある。そして限られた資源を生物個体同士が争い、存在し続けるための努力を繰り返すことによって起こる自然選択によって引き起こされると考えた。

環境収容力は常に生物の繁殖力よりも小さい。そのため、生まれた子のすべてが生存・繁殖することはなく、性質の違いに応じて次世代に子を残す期待値に差が生じる。つまり有利な形質を持ったものがより多くの子を残す。それが保存され蓄積されることによって進化が起こる。

獲得形質の遺伝とパンゲン説

小さな粒子が体内を巡って各器官で獲得した情報を蓄え、それが生殖細胞に集まって、特徴・形質が子に受け継がれる。そのため、子の身体において各器官が親の特徴を伝えるというパンゲン説に基づき、獲得形質の遺伝を支持していました。現在この説は否定されているのですが、近年の研究では遺伝することがあるという研究結果も発表されています。

ちなみにみなさんも学校で学んだメンデルによる遺伝の法則は、当時まだ知られていませんでした。生涯ダーウィンを悩ませた遺伝の仕組みを、同時代に生きたメンデルが発見していたにもかかわらず、その情報が伝わらなかったのが残念ですね。メンデルの法則が世に出たのは、ダーウィンとメンデルが亡くなった後のことでした。

性選択

代表的な例はみなさんもよくご存じのクジャクの羽です。オスのクジャクの羽はカラフルで美しいですよね。しかし美しいことは生存に直結する有利さを持っていません。しかしこの美しさによってメスを惹きつけることができるのです。その結果、子孫を多く残すという点において有利に働くという説が性選択説です。つまり多くの生物は、オスが強さや美しさをアピールし、選択権はメスにあるということです。さて私たち人間はどうでしょうか。

『種の起源』への反響

1859年に発売された『種の起源』は大きな反響を呼びました。大半の反応は、理論としては素晴らしいが、道徳的・倫理的には受け入れられないというものでした。

ダーウィンは世界中の人々と意見交換をしましたが、激しい反発を受けました。「この理論が受け入れられるのには、種の進化と同じだけの時間がかかりそうだ」とコメントを残しています。

1871年の雑誌に載ったダーウィンを揶揄する風刺画
出典:wikipedia
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Editorial_cartoon_depicting_Charles_Darwin_as_an_ape_(1871).jpg

しかし多くの言語に翻訳され世界中に広まっていった『種の起源』は、次世代の研究者たちに多大な影響をを与え、現代生物学の根幹を成す理論とされています。

晩年まで精力的に研究を続けたダーウィン。決して神学を否定したわけではありませんでしたが、最愛の娘アン・エリザベスが亡くなった時に確信しました。「死は神や罪とは関係なく自然現象のひとつである」と。

以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。

参考文献

獲得形質は遺伝する? -親世代で受けた環境ストレスが子孫の生存力を高める-
西田栄介 生命科学研究科教授、岸本沙耶 同博士課程学生、宇野雅晴 同特定研究員らの研究グループは、親世代に低用量ストレスを与えることで獲得されるホルミシス効果(ストレス耐性の上昇や寿命の延長)が、数世代にわたって子孫へと受け継がれることを発...

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