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【作品背景】俺は地獄へ行こう「ハックルベリー・フィンの冒険」(マーク・トウェイン)

アメリカ文学
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児童文学の傑作「トム・ソーヤーの冒険」の続編という位置づけですが、この作品は、児童文学ではなく、アメリカ文学史にとって非常に重要な価値を持つ作品と評価されています。(「トム・ソーヤーの冒険」を読んでいなくても、この作品を楽しむことができます)

みなさん、こんにちは。めくろひょうです。

今回は、「ハックルベリー・フィンの冒険」(マーク・トウェイン)の作品背景をご紹介します。

あらすじ

トム・ソーヤーとの冒険で大金を得た浮浪児ハックルベリー・フィンは、まともな、しかし退屈な日々を送っていた。突然現れた行方不明だった父親から、そして窮屈な生活から逃げ出したハックは、逃亡奴隷のジムと出会い、一緒に筏でミシシッピ川に漕ぎ出す。
自由を求めて旅立ったふたりの前に降りかかる様々な困難。旅の終わりにハックが手にした、かけがえのないものとは。

作品の詳細は光文社古典新訳文庫のHPで。

ハックルベリー・フィンの冒険(上) - 光文社古典新訳文庫
トム・ソーヤーとの冒険で大金を得た後、学校に通い、まっとうな(でも退屈な)生活を送っていたハックだったが……。

サミュエル・ラングホーン・クレメンズ

「マーク・トウェイン」はペンネームで、蒸気船が座礁せず安全に川を運航できる限界の浅さに近いことを知らせる合図“by the mark, twain”(=約3.6m)からとったものです。

1835年、アメリカ・ミズーリ州フロリダで生まれました。父親は判事で、5人兄弟の3番目でした。
トウェインが4歳の頃、家族はミズーリ州ハンニバルのミシシッピ川沿いの町に引っ越します。この町は川を利用した貿易で栄え、「トム・ソーヤーの冒険」の舞台となるセント・ピーターズバーグのモデルになりました。
トウェインの家では、奴隷を所有していましたが、奴隷の子供たちは遊び友達であり、その奴隷との関係が、この作品に影響を与えました。

1847年、父親が亡くなると、様々な職に就き、蒸気船の水先案内人の資格も得ました。

南北戦争が始まるとアメリカ連合国軍(南軍)に志願しますが、身体を壊し除隊させられてしまいます。その後は新聞記者として各地を転々としました。

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新聞に連載したヨーロッパ旅行体験記「地中海遊覧記」が評判となり、1870年の結婚を経て、コネチカット州ハートフォードに転居。執筆活動に専念します。
1873年「金ぴか時代」1876年「トム・ソーヤーの冒険」を発表、ベストセラーとなりました。
そして「トム・ソーヤーの冒険」の続編「ハックルベリー・フィンの冒険」を1885年に発表。アメリカを代表する作家としての地位を確立しました。

その後、投資の失敗により破産。
実業家ヘンリー・H・ロジャーズ(「あしながおじさん」のモデルと言われている人物。ちなみに「あしながおじさん」の作者ウェブスターはトウェインの姪の娘。)の援助を受け、借金の返済に奔走します。作品の印税はもちろん、世界中を巡っておこなった講演の収入を返済に充て、何とか完済しました。

トウェインは生前、「自分はハレー彗星とともに地球にやってきた(ハレー彗星が観測された1835年生まれ)ので、ハレー彗星と共に去っていくだろう」と周囲の人たちに話していたそうです。
そしてその予告通り、75年ぶりにハレー彗星が観測された1910年、この世を去りました。

アメリカ南部

純粋に児童文学の傑作と評価された「トム・ソーヤーの冒険」ですが、その続編という位置づけの「ハックルベリー・フィンの冒険」は、児童文学ではなく、当時のアメリカ南部の様子を克明に描き出し、南部社会の慣習や奴隷制度に対し、批判的なメッセージを主題に据えた作品です。

アメリカ南部はイギリス人入植者によって開拓され、大規模な農地を所有する地主が力を持つ封建主義的な色合いが濃い地域です。その農場の主要な働き手として、多くのアフリカ人が奴隷として連れてこられました。また、熱心なキリスト教徒が多いことでも知られています。

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「ハックルベリー・フィンの冒険」は、このような成り立ちをもつ南部地域における、南北戦争が勃発する前の1840年頃を舞台に描かれています。奴隷制が認められていて、地主である白人たちは、多くの黒人奴隷を所有していた時代です。奴隷の逃亡を助けることは罪であることを知りながら、白人のハックは黒人逃亡奴隷ジムとともに旅に出ます。この行動自体が、当時の南部社会に対する批判なのです。

セント・ピーターズバーグとミシシッピ川

作品の舞台となったセント・ピーターズバーグは架空の町で、マーク・トウェインが少年時代を過ごしたミズーリ州ハンニバルがモデルになっています。
そのセント・ピーターズバーグの街に流れていて、ハックが筏で乗り出すのが、ミシシッピ川です。
ミシシッピ川は北米大陸中央部を流れる(ミネソタ州からメキシコ湾へ)アメリカ合衆国で2番目に長い川です。

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流れが緩やかで船舶の運航がしやくす、コーンベルトと呼ばれる大穀物生産地帯で生産された穀物の輸送ルートとして、現在も活用されています。

アメリカ文学はここから始まった

ノーベル賞作家ヘミングウェイは、東アフリカにおける狩猟旅行の様子を描いたノンフィクション作品「アフリカの緑の丘」の中で、下記のように述べています。

The good writers are Henry James, Stephen Crane, and Mark Twain. That’s not the order they’re good in. There is no order for good writers…. All modern American literature comes from one book by Mark Twain called Huckleberry Finn. If you read it you must stop where the Nigger Jim is stolen from the boys. That is the real end. The rest is just cheating. But it’s the best book we’ve had. All American writing comes from that. There was nothing before. There has been nothing as good since.

優れた作家といえば、ヘンリー・ジェームズ、スティーブン・クレーン、マーク・トウェインだ。彼らの名を挙げた順番は優れている順番ではない。優れた作家には順番などないのだから…。現代のアメリカ文学はすべて、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』という一冊の本から生まれた。もしあなたがこの作品を読むのなら、ジムが少年たちによって奪われるところで止めるべきだ。物語はそこで終わっている。残りはただのごまかしだ。しかし、この作品は私たちが持ちうる最高の作品だ。アメリカ文学は、すべてこの作品から生まれた。この作品以前にアメリカ文学は存在しなかった。この作品以降、この作品に匹敵するものはない。

ヘミングウェイ「アフリカの緑の丘」

「ハックルベリー・フィンの冒険」以前にも、ホーソーンの「緋文字」(1850年)やメルヴィルの「白鯨」(1851年)といったアメリカを代表する作品は発表されていましたが、それらの作品はヨーロッパ文学の延長線上にありました。しかし「ハックルベリー・フィンの冒険」は、方言を含むアメリカ人が日常使っていた言葉で書かれた点が画期的で、ヘミングウェイはその点を重視し、アメリカ文学の源と評価したのでしょう。

俺は地獄へ行こう

雄大なミシシッピ川を取り巻く自然。昔ながらの慣習に縛られて暮らす流域の人々。
トウェインは克明に描き出していきます。

善人、悪人、様々な人々との出会い、そして逃亡奴隷ジムとの間に芽生える友情。
理性と良心の葛藤。「俺は地獄へ行こう」と決断するハック。
アメリカ南部で成長していく少年を、見守ってあげてください。

ヘミングウェイが指摘しているように、私もトム・ソーヤーの登場シーンは不要と感じます。みなさんはいかがですか?

以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。

ミズーリ州ハンニバルの観光ガイド

ハンニバル
中西部の中央のミシシッピ川(Mississippi River)のほとりに位置するハンニバルは、アメリカの偉大な作家、マーク・トウェインが少年時代に過ごした家があることで知られています。本名サミュエル・ラングホーン・クレメンスは後にペンネー...

参考文献

「ハックルベリー・フィンの冒険」における奴隷制問題 小松香織 「ハックルベリー・フィンの冒険」における黒人表象 鈴木恵介
「ハックルベリー・フィンの冒険」におけるハックの「良心」の分析 田染早奈子
アメリカ合衆国における「ハックルベリー・フィン」論争 黒人描写と人種主義をめぐって 井川眞砂

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