ピューリタン社会における不義密通。不倫相手の子を産んだヘスター・プリンは、決して父親の名を明かそうとはしなかった。
こんにちは、めくろひょうです。
みなさん「緋色」ってどんな色かご存じですか?

植物の茜を原料として染めた濃い赤色を指します。英語ではスカーレット(scarlet)。本作の原題は『The Scarlet Letter』。緋文字(ひもんじ)と訳されています
今回は、19世紀アメリカを代表する作家・ホーソーンの代表作「緋文字」の作品背景についてご紹介します。
あらすじ
税関に勤務している私は、とある古い書類に目を留めた。そこに書かれていたのは、アメリカ入植初期のニューイングランドで起きた不義密通事件だった。消息不明の夫がいる女性ヘスター・プリンは、不倫相手の子を出産する。相手の名を明かさず姦通の罪を負ったプリンは、罪の証として「緋文字」を胸につけ、ひとり娘のパールとともに壮絶な人生を送ることになる。
作品の詳細は、光文社古典新訳文庫のサイトから。作品紹介文が読書欲をそそります。

ナサニエル・ホーソーン
1804年、アメリカ・マサチューセッツ州セイラムで生まれました。セイラムは1692年の魔女裁判(魔女狩り)で有名な町であり、この歴史はホーソーンの作品に大きな影響を与えました。また、彼の祖先にこの魔女裁判を担当した判事がいて、ホーソーンはその罪悪感を抱える一方で、家族の過去を深く掘り下げることに取り組みました。
1821年、ホーソーンはボウディン大学に入学します。そこでヘンリー・ワズワース・ロングフェロー(詩人)やフランクリン・ピアース(後の大統領)と知り合いました。大学卒業後、作家として歩み始めますが、作家としての収入だけでは生活できず、税関で働きながら、短編集『トワイス・トールド・テイルズ』などを発表し、徐々に評価を高めていきました。その後、結婚や家族生活を通じて経験を積みながら、1850年『緋文字』を発表し成功を収めます。

1853年、大学時代の友人であるフランクリン・ピアースが大統領に就任すると、彼に請われてイギリス・リヴァプール領事を務めます。退任後はイタリアに滞在し、執筆活動を続けます。1860年に帰国しますが、健康を害し、1864年、ニューハンプシャー州プリマスで亡くなりました。友人であるフランクリン・ピアースと旅行中のことでした。
ピューリタン
本作の舞台は17世紀のマサチューセッツのピューリタン社会です。そもそもピューリタンとは何かを、簡単にご紹介します。
16世紀、イギリス国教会の考え方に異を唱え、改革をしようとしたグループがありました。それをピューリタン(日本語では清教徒)と言います。ピューリタンの語源は、純潔を意味するPurity。グループの中には教会を内部から改革しようとする派閥と、教会から離れようとする派閥(分離派)があり、分離派は、弾圧を受けます。分離派の彼らは信教の自由を求めて、メイフラワー号に乗り、新世界(アメリカ大陸)を目指します。

2か月を超える苦難に満ちた航海の末、イギリスからの入植が始まって間もないニューイングランド(アメリカ東北部)にたどり着いた彼らは、後に「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれるようになりました。
ピルグリム・ファーザーズ
ピルグリム・ファーザーズが到着したころのニューイングランドは厳しい冬を迎えていて、入植者の半数近くが、寒さと病気のため死亡したともいわれています。
彼らは、近隣に居住していたネイティブアメリカンの助けを受け、トウモロコシなど現地の作物を栽培し生き延びました。
秋の収穫時には、彼らを招いて祝宴を開き、感謝の気持ちを伝えたそうです。これが現在の「感謝祭」の起源になりました。

当時、アメリカ大陸への船旅は、航海の危険性だけではなく、莫大な費用も必要でした。
イギリスに先んじてアメリカ大陸への入植を進めていたスペインやポルトガルは、国の政策として実施していましたが、イギリスからの入植は、そもそも宗教的弾圧を受けていた人たちが中心だったため、国の政策ではなく、営利を目的とする民間団体に支援されていました。
調理器具、衣服、種子、工具、建材、家畜、武器、弾薬など、生活に必要な物を持ち込んだ彼らですが、初めてアメリカ大陸に持ち込んだとされているものがあります。
ビールです。出航時には400樽も積み込んでいたとか。
メイフラワー誓約書
ピルグリム・ファーザーズは、アメリカ大陸上陸前に船上で誓約を結びました。
自分たちはイギリス国王の臣民ではあるものの、いかなる政府組織にも属していないと考え、上陸後の秩序を維持し、揉め事が起こらないようにするためです。
「メイフラワー誓約書」と呼ばれるこの誓約書は多数決を採用していて、後のアメリカ民主主義の基礎になりました。
セイラム魔女裁判
ピューリタンは、その成り立ちからもわかるように、厳格な道徳規範と宗教的信仰を持つことで知られていました。しかし、その一方で、彼らの社会は、しばしば冷酷で排他的な一面を持っていて、異端者や罪を犯した者に対して厳しい処罰を課しました。
そのようなピューリタン社会であるマサチューセッツ州セイラムで、1692年に起きた魔女裁判は、アメリカ植民地時代の最も有名な事件のひとつです。この事件では、宗教的狂信が集団パニックに結びつき、200人以上の女性が魔女として告発されました。ある少女たちの奇妙な行動が発端とされ、彼女たちは悪魔に取り憑かれたと判断されてしまいます。さらに宗教的対立や土地争いや、女性に対する偏見など、様々な要因が絡み合い、パニックを引き起こしました。

裁判では証拠がほとんどないまま、証言に基づいて有罪判決が下され、その結果、19人が絞首刑となり、1人が拷問の末に死亡、多くの人が投獄されました。翌年、裁判は終結し、告発の不当性が認識されましたが、処刑された人たちは、全員が魔女であることを否定していました。
この事件は、群集心理や過激な宗教観に基づく正義の行使が引き起こす危険性を示す教訓として、後世のアメリカにおける裁判制度に強い影響を及ぼしました。
緋色の文字
『緋文字』が出版されたのは1850年。アメリカでは、西部開拓が進み、産業革命が生活を一変させる中で、過去の伝統や宗教的価値観が新しい時代の波に揺さぶられ、社会的・文化的に大きな変化を遂げていた時代です。ピューリタンの祖先を持ち、その歴史を深く意識していたホーソーン。

イギリス国教会改革派、アメリカ民主主義の礎を築いた人たちの末裔が住む街。そこで起きた「不義密通」事件。主人公ヘスター・プリンの強さと、緋文字Aの重さ。ホーソーンが込めた想いを堪能してください。
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
映画化作品
『緋文字』
ヴィム・ヴェンダース監督、センタ・バーガー主演によって1973年に公開された西ドイツ(当時)映画。
『小悪魔はなぜモテる?!』
『緋文字』をモチーフに、ウィル・グラック監督、エマ・ストーン主演で2010年に公開されたアメリカ映画。モチーフにしただけであって、主人公の設定やストーリーは原作と異なる、青春コメデイ作品。
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