【作品背景】19世紀捕鯨のリアル「白鯨」(メルヴィル)

アメリカ文学
Image by Dennis Larsen from Pixabay
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小説としてのストーリーはありますが、作品の大部分は、19世紀中頃における、鯨に関する知識およびリアルな捕鯨の様子を描いた、博物誌といってもいい内容で占められています。

銛を突き刺したり、捕獲後に解体したり、捕鯨の様子が生々しく描かれています。そのようなシーンが苦手な方にはお勧めできません。

みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「白鯨」(メルヴィル)の作品背景をご紹介します。

あらすじ

アメリカ最大の捕鯨基地・ナンタケットにやってきた俺。宿で知り合った巨漢・クィークェグとともに、捕鯨船ピークォド号に乗り込んだ。
その船の船長エイハブは、モービィ・ディックと呼ばれる白いマッコウクジラに片足を食いちぎられ、鯨の骨で作った義足を装着していた。復讐に燃えるエイハブは、モービィ・ディックを探すため、大海原に乗り出す。
当時の、鯨や捕鯨に関する情報満載の、貴重な資料。

作品の詳細は新潮文庫のHPで。

ハーマン・メルヴィル、田中西二郎/訳 『白鯨〔上〕』 | 新潮社
アメリカ東海岸の捕鯨基地に現われた風来坊イシュメール――陸の生活に倦み果て、浪漫的なあこがれを抱いて乗り組んだのが捕鯨船ピークォド号。出帆後数日してやっと姿をみせた船長エイハブは、自分の片脚をもぎとった神出鬼没の妖怪モー

ハーマン・メルヴィル

1819年、ニューヨークで生まれました。父親は裕福な商人でしたが、商売に行き詰まり、負債を抱えたまま亡くなってしまいます。通っていた学校は中退せざるを得ず、働きに出ますが、家庭の経済状況は改善せず、20歳の頃、船員になりました。
捕鯨船アクシュネット号の乗組員となったことを皮切りに、何隻もの船に乗り、太平洋を航海しました。

パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

1844年、陸上生活に戻り、波乱万丈だった航海の経験をベースに、海洋小説を執筆。1851年「白鯨」を発表。しかし作品が評価されることはなく、作家として生計を立てることはできませんでした。

ニューヨーク税関の職を得て、細々と生活をしていましたが、長男・次男を相次いで亡くすなどの不幸が続きます。遺作「ビリー・バッド」を完成させることなく1891年、亡くなりました。

メルヴィル再評価

残念ながら生前には評価されることのなかったメルヴィルですが、死後30年以上を経て、脚光を浴びることになりました。きっかけのひとつとされているのが、1921年に発表された「ハーマン・メルヴィル航海者にして神秘家」です。

著者のレイモンド・ウィーバー教授は、メルヴィルの孫娘エレノア・メトカルフの協力を得て、メルヴィルが残した文書を研究。あまり知られることのなかったメルヴィルの姿を描き出しました。遺作「ビリー・バッド」の原稿を発見したのもウィーバー教授だといわれています。

こうして起こった再評価の流れの中で、全集が発行されたり、「白鯨」が映画化されたりしました。現在メルヴィルは、アメリカを代表する作家として位置付けられています。

代表作である「白鯨」は、サマセット・モームによる「世界の十大小説」にも選出されています。

地球上最大の動物クジラ

地球上最大の動物であるクジラ。現在確認されているシロナガスクジラで最大の個体は、長さ29.9メートル、体重199トン。みなさん想像できますか?
東京上野・国立科学博物館の屋外に原寸大の模型が展示されています

クジラは大きくふたつの種類に分けられ、シロナガスクジラなどのヒゲ(髭)クジラと、「白鯨」に登場するモービィ・ディックことマッコウクジラなどのハ(歯)クジラです。
ちなみに小型のハクジラをイルカと呼びます

United States Fish & Wildlife Service
4. マッコウクジラ 6. シロナガスクジラ

クジラが高い知能を有していることは、みなさんご存じの通りです。学習能力を持ち、計画を立て、仲間と協力する。また、悩むこともあると言われています。
マッコウクジラ(オス)の脳の平均的な重量は7.8キログラム(地球上の動物で最も重い)。人間の6倍もあります。

19世紀中頃の捕鯨

捕鯨大国ノルウェーでは、紀元前3000年頃に描かれたと推測される鯨の壁画が見つかっています。このような資料により、先史時代から、人間と鯨の関係は始まっていたと考えられています。

沿岸部でおこなわれていた捕鯨は、次第に、大型船を使って遠洋に出ておこなわれるようになります。「白鯨」の舞台となった19世紀中頃には、作中に描かれているように、大型帆船に捕鯨ボートを積み込んだスタイルとなり、世界中の海に繰り出していきました。

エンジンもないレーダーもない船に大量の水を積み込んで、どこにいるかもわからない鯨を目指して大海原に出航する。チャレンジャーですね。
ちなみに各地で必要な物資を補給しながら、数年にわたって航海を続けたそうです。

質の良い鯨油が採れるマッコウクジラが主な捕獲対象で、太平洋が中心的な漁場になりました。日本周辺は良質な漁場であると評判になり、世界中から多数の捕鯨船が集まりました。

しかし当時の日本は江戸時代末期。鎖国が続いていて、捕鯨船たちは必要な物資を日本で調達できませんでした。こうした不便を解消するためにアメリカ政府が動き、やがて日米和親条約締結へとつながっていきます。

Die Gartenlaube, 1869 Ernst Keil’s Nachfolger
パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

「白鯨」のピークォド号が航海をしていた19世紀中頃は、商業捕鯨の最盛期で、捕鯨船の母港となったナンタケットやニュー・ベッドフォードは大いに栄えたそうです。

やがて、ペンシルベニアで油田が発見されて鯨油の需要が減ったことや、カリフォルニアでゴールドラッシュが起こって労働者が転職したことなどにより、アメリカの捕鯨は衰退していきました。

ピークォド号

アメリカ人(白人)、アフリカ系アメリカ人、ネイティブ・アメリカン、ポリネシア人、インド人、マレー人、オランダ人、イタリア人、中国人など、様々な人種、様々な国籍、様々な宗教を持った男たちが、一獲千金を夢見て、ピークォド号に乗り込みます。
現代の感覚でいえば「無謀」としか言いようのない航海です。
みなさんもチャレンジしてみますか?

冷静沈着・ピークォド号の一等航海士スターバック。みなさん、毎日彼の名前を目にしていますよね。そうです。彼はスタバの由来となった人物です。

以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。

映画化作品

白鯨との闘い

原作:ナサニエル・フィルブリック『復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇』
監督:ロン・ハワード 主演:クリス・ヘムズワース
作家ハーマン・メルヴィルは、かつて捕鯨船エセックス号に乗り、巨大な白いマッコウクジラと戦ったトーマスという男を訪ねた。彼から聞いた壮絶な実話をヒントに、メルヴィルは「白鯨」執筆に取り掛かる。

白鯨との闘い(字幕版)
1819年、一等航海士オーウェンは、21人の仲間たちと捕鯨船エセックス号に乗り、太平洋を目指した。妻とまだ見ぬ子に「必ず帰る」と誓って。しかし、彼らを待ち受けていたのは巨大な白鯨。死闘の末、船を大破された彼らにさらなる試練が待ち受ける・・・。※本編終了後特典映像あり Rating G (C) 2015 Cott Pro...

日本メルヴィル学会

メルヴィル研究の情報はこちらのHP

ニュース・お知らせ
教員公募のお知らせです。詳しくは以下のPDFをご覧ください。 ・就実大学【応募締切】2022年7月28日(木)必着

一般社団法人 日本捕鯨協会

捕鯨に関する情報満載のHP

捕鯨の歴史|日本捕鯨協会
日本捕鯨協会ホームページでは、人と鯨が捕鯨という形で関わるようになった歴史を、捕鯨史年表としてまとめてみました。捕鯨の歴史について知るための一助となることができれば幸いです。

参考文献

19 世紀後半期アメリカ式捕鯨の衰退と産業革命 大崎晃
研究ノート『白鯨』 岩見貴之
1920年代のメルヴィル・リバイバル再考 西谷拓哉

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