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【作品背景】そこは約束の地だったのか「怒りの葡萄」(スタインベック)

アメリカ文学

1930年代アメリカ。世界恐慌と砂嵐。故郷を追われた農民一家は、約束の地カリフォルニアを目指す。ノーベル文学賞・ピューリッツァー賞受賞作。

みなさん、こんにちは。めくろひょうです。

今回は、「怒りの葡萄」(ジョン・スタインベック)の作品背景をご紹介します。

あらすじ

オクラホマ州で農業を営むジョード家。砂嵐によって農地を失った一家は、故郷を離れ、仕事があるというカリフォルニアに向かう。ルート66を通りアリゾナ砂漠・ロッキー山脈を越えてカリフォルニアにたどり着いたジョード一家が目にしたものは。

作品の詳細は、新潮社文庫のHPを参照してください。

ジョン・スタインベック、伏見威蕃/訳 『怒りの葡萄〔上〕』 | 新潮社
米国オクラホマ州を激しい砂嵐が襲い、先祖が血と汗で開拓した農地は耕作不可能となった。大銀行に土地を奪われた農民たちは、トラックに家財を積み、故郷を捨てて、“乳と蜜が流れる”新天地カリフォルニアを目指したが……。ジョード一

ダストボウル

物語が動き出すきっかけとなったのが、ダストボウルと呼ばれる砂嵐です。このダストボウルは、1930年代に、アメリカ中西部で頻繁に発生しました。

ダストボウルの発生源となったアメリカ中西部は、もともと大草原でした。そこに白人が入植し、草原を耕地に変えてしまいました。その結果、土が地表に露出することになり、強い陽射しと強い風によって、土ぼこりが舞い上がる現象を引き起こしたのです。

したがって、このダストボウルは、自然現象による天災ではなく、人災とされています。

アメリカ中西部農業の崩壊と西部への移住

折しも世界恐慌の真っ只中で、そもそも経済が疲弊している状態に、このダストボウルが追い打ちをかけるかたちになり、グレートプレーンズと呼ばれる中西部(テキサス州・アーカンソー州・オクラホマ州など)の農業に壊滅的な打撃を与えました。

この作品スタートの舞台となるオクラホマ州からは数十万人がカリフォルニア州などの西部に移住したと言われています。

彼らは「オーキー」と呼ばれ、現在でも軽蔑的なニュアンスをもって使われているとか。

資本家と労働者

この作品は、当時の社会背景を克明に描いたものであり、出版するやいなやベストセラーになると同時に、全米に論争を巻き起こしました。

つまり、搾取される側である労働者からは真実だと擁護され、搾取する側である資本家からはデタラメだと非難されたのです。

特に作品の舞台となったオクラホマ州とカリフォルニア州において非難する声が多かったと言われています。

約束の地

この作品は、著者スタインベックの考えと、主人公トムの物語が、交互に織り込まれています。つまり、小説という位置付けに留まらず、社会に対するスタインベックの意見書でもあります。

執筆活動を始める前に、様々な職業を経験したスタインベックならではの視点と言えるでしょう。

白地図専門店のフリー素材を元に投稿者作成

故郷オクラホマを追われ、アメリカ横断の大動脈とも言える「ルート66」を辿って行くトムと家族たち。旅の終着点・カリフォルニアは、果たして「約束の地」だったのか。

文字によって土と渇きを感じてみませんか?

作品出版の翌年、監督ジョン・フォード・主演ヘンリー・フォンダによって早くも映画化され、アカデミー賞を受賞しています。(監督賞および助演女優賞)

以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。

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