第一次世界大戦。ドイツ西部、フランス軍と繰り広げられる激しい塹壕戦。志願兵・少年パウルの心は、徐々に壊されていく。ラスト十数ページ、怒涛のように押し寄せる魂の叫び。自らの体験をもとに戦場のリアルな姿を描いた、不朽の反戦文学。
みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「西部戦線異状なし」(レマルク)の作品背景をご紹介します。
あらすじ
第一次世界大戦の西部戦線に投入されたドイツ少年志願兵パウル。敵に突撃し、敵から銃撃を受ける塹壕戦が延々と続く。仲間が殺され、敵を殺す。非日常が日常になり、パウルの心は少しづつ壊されていく。
作品の詳細は、新潮社のHPで。
エーリヒ・パウル・レマルク
エーリヒ・マリア・レマルクはペンネームで、本名はパウル、本作品の主人公と一緒です。
1898年6月22日、プロイセン王国(現ドイツ)ハノーファーの労働者階級家庭に生まれました。ギムナジウム(中等教育機関・日本の中高一貫に近い)在学中に第一次世界大戦が勃発、18歳になるとドイツ帝国軍に入隊します。大戦末期の1917年には西部戦線に配属されて塹壕戦を経験しますが、重傷を負い本国に送還されました。
軍病院で治療中に起きたドイツ革命により、ドイツ帝国は崩壊、大戦は終結。終戦後は故郷に戻りギムナジウムを卒業、教員資格を取得して教師になります。その後は、ベルリンに居を移し、ジャーナリストなどを経て、作家としての活動を開始します。1925年結婚しますが離婚し、後に同じ女性と再婚しました。
1928年、新聞に連載された「西部戦線異状なし」が反響を呼び、翌1929年に出版されると、ベストセラーになりました。1930年には映画化され、アカデミー賞最優秀作品賞を受賞しました。その後も作品を発表しますが、ドイツではナチスが台頭し始め、反戦的と批判されたレマルクは身の危険を感じ、1932年、スイスに亡命しました。
ヒトラーが政権を握ってからはさらに批判が強まり、著書は焚書(学問や言論圧迫の手段として書物を焼きすてること・精選版 日本国語大辞典)処分を受け、さらに、妹が処刑されるという事態になりました。1938年にはドイツ国籍を剥奪され、アメリカに亡命しました。その後は、第二次世界大戦を題材にした作品を発表し、二度の世界大戦を描いた作家として不動の評価を得ることになりましたが、生涯ドイツ国籍は回復されませんでした。
アメリカでは、グレタ・ガルボなど多くの女性と浮名を流しました。1958年、チャールズ・チャップリンの元妻のポーレット・ゴダードと結婚すると、夫婦でスイスに暮らし、1970年9月25日、大動脈瘤で亡くなりました。
レマルク同様ナチスに迫害されたドイツの作家による作品を紹介した記事はこちら
第一次世界大戦の西部戦線における塹壕戦
作品の舞台となった第一次世界大戦および西部戦線における塹壕戦ついて、簡単に解説します。
第一次世界大戦
〇概要:1914年6月28日に起きたサラエボ事件に端を発し、ヨーロッパの国々が、連合国と中央同盟国に分かれておこなわれた戦争。
〇期間:1914年7月28日~1918年11月11日
〇参加国:
・連合国
ロシア帝国 フランス(第三共和政) イギリス(グレートブリテンおよびアイルランド連合王国)
・中央同盟国
ドイツ帝国 オーストリア=ハンガリー帝国
戦争中に両陣営の同盟関係は拡大され、参戦国や戦争に巻き込まれた地域は、約50カ国。ちなみに、日本(大日本帝国)はイギリスと同盟を結んでいたため、連合国として参戦。
〇結果:1917年アメリカが参戦したことにより連合国が戦力的優位になり、1918年11月にドイツが休戦協定を受諾し終戦。
〇動員軍人:7000万人以上
Copyright: © IWM. Original Source: http://www.iwm.org.uk/collections/item/object/205195977
〇特徴:塹壕戦によって戦線が膠着し死亡率が上昇。戦闘員および民間人の犠牲者は数千万人とも言われている。また、戦争の長期化による政情不安により、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国が、革命によって崩壊。
西部戦線(ドイツから見て西部)における塹壕戦
ドイツ西部、フランスとの国境線に敷かれた戦線。前線の両側に塹壕が掘られた。塹壕には機関銃や有刺鉄線などの巧妙な仕掛けが設置されていて、防御有利、攻撃をしても大量の犠牲者が出ることが多かった。結果、戦線は膠着することになった。毒ガスや戦車などの新兵器が投入されたが、決定的な打撃は与えられなかった。
塹壕とは、戦争において敵の銃や大砲などの攻撃から身を守るために掘った穴や溝。歩兵や騎兵による正面突撃を無力化。敵に塹壕を迂回されないように横に伸びていく。西部戦線においてドイツとフランスの両軍は、塹壕線を次々に伸ばし、北はイギリス海峡から南はスイス国境地帯までの長大な塹壕地帯を構築し、迂回して進軍することは不可能になった。
結果、前線は膠着し、お互いに長期間にわたって睨み合う総力戦に。攻防を繰り返し多くの犠牲者を出すが、双方とも塹壕地帯を突破出来なかった。
秦豊吉
この作品の翻訳者である秦豊吉氏についても触れておきます。新潮文庫版巻末のあとがきには、1933年、当時スイスに滞在していたレマルクを秦氏が訪ねた時の様子が描かれています。
昨今、古典文学作品の新訳が多数出版されていますが、この作品は、原著出版直後に翻訳されたものが現在も販売されています。しかも著者に直接会ったことのある人物によって翻訳されたものが。確かに時代を感じさせる翻訳ではありますが、現在でも色褪せない力強い翻訳だと思います。
さて、その秦氏ですが、とても変わった経歴をお持ちなので、簡単に紹介します。
1892年生まれで、東京帝国大学卒業後、三菱商事に勤務。レマルクと同時期にベルリンに駐在。帰国後、三菱商事に勤務しながら「西部戦線異状なし」を翻訳し出版。作家の山本有三・谷崎潤一郎などと交流。退社後は、東京宝塚劇場、後楽園スタヂアム、東宝などの取締役を歴任。戦後、戦争協力者とみなされて公職追放されるも、新宿で日本初のストリップ・ショーを上演。後に、帝国劇場社長や日本テレビの経営にも関わった。
こんなパワフルな秦氏が見たレマルクの姿を、是非あとがきで確認してみてください。
報告すべき件なし
この作品では、砲撃時に音の大小でその飛距離や砲弾の種類を見分ける方法、毒ガス攻撃への対処方法、白兵戦では敵を突き刺すと抜きづらい銃剣よりもスコップの方が役立つことなど、現場にいなければわからないことが克明に描かれています。また、戦場後方で一息ついている時の様子や、野戦病院の凄惨さ、戦場付近での敵国女性との交流など、戦闘周辺のエピソードもふんだんに盛り込まれています。
そして中心をなす兵士たちの描写。勇気、恐怖、愛国心、虚無感。仲間の死と敵兵の死。淡々と描かれることによって戦争の悲惨さと理不尽さが際立ちます。たとえ多くの命が失われても、司令部への報告は「報告すべき件なし」。
100年近く前に発せられたレマルクのメッセージは、現代に生きる私達にも響いて来ますね。
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
映像化作品
『西部戦線異状なし』
1930年 アメリカ作品
監督:ルイス・マイルストン
主演:リュー・エアーズ
第3回アカデミー賞 最優秀作品賞・最優秀監督賞受賞
『西部戦線異状なし』
2022年 ドイツ・アメリカ作品
監督:エドワード・ベルガー
主演:フィリックス・カマラー
第95回アカデミー賞 国際長編映画賞・作曲賞・美術賞・撮影賞受賞
参考
エーリッヒ・マリア・レマルク平和センター
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