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【作品背景】史上初の推理小説「モルグ街の殺人」(エドガー・アラン・ポー)

アメリカ文学

とある紳士が恐るべき推理で密室殺人の謎を暴く。のちの作品に多大な影響を与えた、史上初の推理小説。

みなさん、こんにちは。めくろひょうです。

今回は、「モルグ街の殺人」(エドガー・アラン・ポー)の作品背景をご紹介します。

あらすじ

パリ・モルグ街のアパートメントで猟奇殺人事件が起こる。ふたりで暮らしていた母娘が惨殺されたのだ。娘は首を絞められて殺され、部屋の暖炉の煙突に詰め込まれていた。母親は首をかき切られて、胴体から頭が取れかかっていた。部屋の中は荒らされていたが、金品を盗られた形跡はない。しかも、部屋の出入り口には鍵がかかっており、部屋の窓には釘が打ち付けられていて、密室状態だった。多くの人が、事件のあった時刻に犯人と思われる人物の声を聞いていたが、証言は食い違う。警察の捜査が進展しない中、オーギュスト・デュパンという紳士が犯行現場への立ち入りを許可され、入念に現場を調査する。すると彼は、自らの推理を語りだす。彼が明らかにした事件の真相とは。

作品の詳細は、KADOKAWAのHPで。

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エドガー・アラン・ポー

1809年、アメリカ・マサチューセッツ州ボストンで生まれました。両親とも役者でしたが、幼い頃に父親が失踪、母親はエドガーの妹を出産後亡くなってしまいます。

エドガーは次男で、兄と妹がいましたが、兄と妹はそれぞれ別の家庭に引き取られ、エドガーは、リッチモンドのアラン家に引き取られました。

エドガーを引き取ったジョン・アランは貿易を営む裕福な商人でした。エドガーはこの時から「エドガー・アラン・ポー」という名になります。しかし養子とするための正式な手続きは行なわれていませんでした。

出典:wikipedia

1815年、アラン家は事業拡大のためイギリスに渡ります。ロンドンの寄宿学校で学びますが、ここでの生活は後の作品「ウィリアム・ウィルソン」などに活かされました。

しかしロンドンでの事業は芳しくなく、アラン家はアメリカ・リッチモンドに戻ります。エドガーは学校に通い、フランス語、ギリシャ語、ラテン語や古典文学を学びました。成績は優秀で、この頃、詩作を始めています。

エドガーは大学に入る前年、近所に住む少女サラ・エルマイラ・ロイスターと恋に落ち、密かに婚約を交わしていましたが、彼女の父親に反対され、サラはほかの男と結婚してしまいました。

ヴァージニア大学に進学したエドガーは、語学や文学を学びました。しかし、養父ジョンからの仕送りが滞り生活が苦しくなると賭博に手を出すようになり、多額の借金を作ってしまいます。事情を知ったジョンはエドガーの生活費の借金は返済してあげますが、賭博の借金は返済しませんでした。

借金を抱えて大学を退学したエドガーは、ボストンに移り、アメリカ合衆国陸軍に入隊します。詩作を続けながら、順調に昇進しますが、養母の死去を機に除隊し、ボルティモアに居を移しました。長詩「アル・アーラーフ」が複数の雑誌に掲載されたことから世間の注目を集め、詩集を出版しました。1830年、ウェスト・ポイント陸軍士官学校に入学しますが、詩や小説に触れることが許されず翌年に退校。この頃、養父ジョンの再婚をめぐって衝突し、勘当されてしまいました。

UnsplashMatt Collamerが撮影した写真

詩作に加え短編小説の執筆を始めたエドガーは、作品を雑誌に投稿するとともに、懸賞にも応募し、賞を取るなどしました。執筆活動とともに雑誌編集者の仕事をこなしながら、1833年、まだ13歳だった従妹のヴァージニアと結婚しました。

その後は、アメリカ東部各地を転々としながら、様々な雑誌の編集に携わるとともに、詩・小説・評論を発表しました。この時期に発表された作品には、後にエドガーの代表作と呼ばれる「ウィリアム・ウィルスン」「アッシャー家の崩壊」「モルグ街の殺人」などがあります。

1842年、妻ヴァージニアが病気に。看病にあたりますが、この頃から酒の量も増えていきます。「黄金虫」で懸賞に応募し100ドルの賞金を受けるなど、精力的に各誌に作品を発表し、詩「大鴉」は絶賛され、エドガーは有名になりますが、生活は苦しいものでした。

1846年、妻ヴァージニアとともにニューヨーク・ブロンクスにある小さな木造の家に引っ越しますが、翌年、ヴァージニアは亡くなってしまいました。

その後も執筆活動を続けますが、本はなかなか売れず苦しい生活が続きました。1849年、仕事で訪れたリッチモンドで、未亡人となっていた元恋人のサラ・エルマイラ・ロイスターと再会し、彼女と婚約します。

結婚式を間近に控えた1849年10月、リッチモンドからニューヨークの仕事に向かう途中のボルティモアで、泥酔状態のところを発見され、10月7日、40歳の若さで亡くなってしまいました。

謎の死

1849年10月3日、エドガーは、泥酔状態で倒れているところを発見されました。病院に運ばれましたが、まともな会話ができる状態ではなく、4日後の10月7日に亡くなりました。

結婚式を間近に控えたエドガーが、リッチモンドからニューヨークに向かう途中の街ボルティモアになぜ立ち寄ったのか。泥酔するほど酒を飲んだのはなぜなのか。また、発見された時、他人の服を着せられていましたが、それはなぜなのか。何も話すことなくエドガーはこの世を去ってしまいました。さらにエドガーの診断書や死亡証明書などは現存しておらず、真相は闇の中です。

そのようなエドガーの謎の死については、様々な憶測がなされています。

エドガーが亡くなった時、ボルティモアがあるメリーランド州では議会選挙の真最中でした。当時の選挙においては、有権者の身元確認が正確にはおこなわれておらず、選挙の立候補者が人を雇って、旅行者などに無理矢理酒を飲ませ、まともな判断ができない状態にして投票所に連れて行き、投票をさせる行為が横行していました。エドガーは、この行為の犠牲になったとする説が有力視されていますが、真相は不明です。まさにミステリー。

史上初の推理小説

「モルグ街の殺人」は、推理小説・探偵小説の元祖と位置づけられています。エドガー以前にもこのジャンルに相当する作品を発表した作家はいましたが、のちの作家に与えた影響の大きさから、エドガーが元祖とみなされているのです。綿密に練られたストーリーと推理のプロセスは読者を引き付け、驚きと興奮をもたらしたのです。

アーサー・コナン・ドイルが生み出した名探偵シャーロック・ホームズは、「モルグ街の殺人」なくしては誕生しなかったといわれています。

現代の推理小説と比較すると粗い点は否めませんが、密室、トリック、意外性など、現代に通じる内容が盛り込まれていることは事実です。

作品のデパート

作家でありながら雑誌編集者でもあったエドガーは、雑誌という媒体とその読者である大衆の興味を意識しながら、様々なジャンルの作品を発表しました。まさに作品のデパートともいえる多種多様さです。ここでは、エドガーが発表した作品を大まかなジャンルに分けて紹介します。

推理小説

今作「モルグ街の殺人」、同じくデュパンが謎解きに挑む「盗まれた手紙」、懸賞応募作として世に出た「黄金虫」など。巧妙に仕掛けられたトリックを楽しめる作品群です。

怪奇小説

「赤死病の仮面」「ウィリアム・ウィルソン」「黒猫」「アッシャー家の崩壊」「リジーア」など。「死」に対する考え方が色濃く反映されている作品群です。

ユーモア小説

「Xだらけの社説」「オムレット公爵」などの風刺の利いたパロディ小説など。記者としてキャリアを活かした作品群です。

冒険小説

「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」「ハンス・プファールの無類の冒険」などはジュール・ヴェルヌなどの作家に多大な影響を与えたと考えられています。奇想天外な冒険譚はSF小説の先駆けとも評されています。

代表作「大鴉」。エドガーの名を世に知らしめた代表作「大鴉」をはじめ、多くの詩も発表しました。

江戸川乱歩

日本人がエドガーに親近感を覚える最大の功労者はいうまでもなく江戸川乱歩の存在でしょう。あまりにもベタなペンエームですが、エドガー・アラン・ポーをそのまま使ってしまうほど傾倒していたといえます。日本における探偵小説・怪奇小説の礎を築いた功績は、まさに日本のエドガー・アラン・ポーと言えるでしょう。

出典:wikipedia

エドガーは、アメリカにおいて筆一本で生計を立てようとした最初の職業作家とも言われています。しかし、決して裕福ではなく、むしろ常に貧しい生活を送っていました。

わずか40年の短い生涯を駆け抜けたエドガー。彼が遺した作品群は死後170年以上の時を超えて私たちの魂を揺さぶります。みなさんもエドガーの世界に浸ってみてください。

以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。

参考文献

角川文庫の「ポー傑作選」(全3冊)は、訳者の東大教授・河合祥一郎博士による詳細な解説が収録されています。ポーの世界に飛び込むのであれば、まずはこのシリーズをおすすめします。

エドガー・アラン・ポー博物館

リッチモンドにあるアラン家の古い家屋。エドガーが幼少期に生活していた当時の様々な品や、作品の初版などを所蔵している。

The Poe Museum – Richmond, VA
Richmond, VA

エドガー・アラン・ポー自然史博物館

現存するポーの住居の中で最も古いボルティモアの家 エドガー・アラン・ポー協会の拠点にもなっている

Edgar Allan Poe National Historic Site (U.S. National Park Service)
Described as horrifying, mystifying, and brilliant, Poe’s writing has engaged readers all over the globe. The six years Edgar Allan Poe lived in Philadelphia we...

ポー・コテージ

ニューヨーク州ブロンクス区に現存するポーの最後の住居

Poe Cottage — The Bronx County Historical Society

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