【作品背景】かなわぬ横恋慕「若きウェルテルの悩み」(ゲーテ)

ドイツ文学
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若きウェルテルが恋した女性ロッテには、婚約者がいた。

みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「若きウェルテルの悩み」(ゲーテ)の作品背景をご紹介します。

あらすじ

ウェルテルから友人ヴィルヘルムに宛てた手紙には、とある女性への成就しない恋の成り行きが書かれていた。
舞踏会に出掛けたウェルテルは、そこで出会ったシャルロッテに恋をする。彼女に婚約者がいることを知りつつ、心惹かれていく。実らぬ恋に苦悩するウェルテルが出した結論は。

作品の詳細は、新潮社のHPで。

ゲーテ、高橋義孝/訳 『若きウェルテルの悩み』 | 新潮社
ゲーテ自身の絶望的な恋の体験を作品化した書簡体小説で、ウェルテルの名が、恋する純情多感な青年の代名詞となっている古典的名作である。許婚者のいる美貌の女性ロッテを恋したウェルテルは、遂げられぬ恋であることを知って苦悩の果て

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

1749年、ドイツ中部フランクフルトの裕福な家庭に生まれました。父親は子供たちの教育に熱心で、ゲーテは幼いころに多くの言語を習得しました。

故郷を離れてライプツィヒ大学法学部に入学しますが、体調を崩してしまい、フランクフルトの実家に戻って、療養生活を送ります。この時期に、宗教に関する諸説を学び、「自分が信じるものを持つことが真の信仰である」という汎神論(万物に神が宿っている)的な宗教観を持つようになりました。

また、自然科学にも興味を持ち、研究を重ねました。後に地質学・植物学・気象学といった分野で成果を残すことになる、自然科学者としての基礎は、この頃に築かれました。

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復学して大学を終えると、再びフランクフルトに戻り、弁護士事務所を開設します。しかし、徐々に本業をないがしろにし、文学へ傾倒していきます。

心配した父親は、法学に専念できるように、ゲーテをヴェッツラー(帝国最高法院があった街)へ移します。この街で体験したことが、「若きウェルテルの悩み」のベースになっています。

1775年、ゲーテはワイマール公国のカール・アウグスト公に招かれ、ワイマールに移りました。

当時18歳だったアウグスト公に兄のように慕われたゲーテ(当時26歳)は、ワイマール公国の官僚として精力的に仕事をこなし、1782年には神聖ローマ皇帝より貴族に列せられました。(貴族を表わす「フォン」が付き、「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ」と呼ばれるようになりました)。

公職に就いていた10年間、ゲーテは筆を執らず、作家としては休業期間でした。

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その後、長期休暇を取ってイタリアを旅行し、ドイツとフランスが戦争状態になると、アウグスト公に従って、戦地に赴きました。

晩年の大作「ファウスト(第2部)」を書き上げると、1832年、82歳でその生涯を終えました。最期に発した言葉は有名な「もっと光を!(Mehr Licht !)」。

ヴェッツラーで出会ったシャルロッテ・ブッフ

ゲーテは、法曹の街ヴェッツラーで、ケストナー、イェルーザレムという友人ができます。そして、とある舞踏会で、シャルロッテ・ブッフという女性に出会い、恋に落ちますが、彼女は友人ケストナーの婚約者でした。

恋に破れフランクフルトに戻ったゲーテでしたが、シャルロッテのことが忘れられず、悶々とした日々を過ごします。そうした中、友人のイェルーザレムが、人妻との恋に破れ自殺したという知らせが届きます。

ゲーテは、自身の失恋体験と友人の死からヒントを得て、「若きウェルテルの悩み」をわずか1か月あまりで書き上げ、1774年、25歳の時に出版しました。

この作品は、若者を中心に大人気となり、英語、フランス語、イタリア語などに翻訳され、ヨーロッパ中にゲーテの名を轟かせることになりました。

晩年デーテは、このシャルロッテ・ブッフと再会を果たしています。このときの出来事を題材に、作家トーマス・マンは長編小説「ワイマールのロッテ」を書き上げました。

ナポレオンとの対面

1808年、ナポレオンがヨーロッパ諸侯に対し、ドイツのチューリンゲン州エアフルトに集まるよう号令を出すと、ゲーテはアウグスト公とともにこの地に向かい、ナポレオンと対面を果たしました。

ナポレオンは「若きウェルテルの悩み」の愛読者で、遠征の際にも持ち歩き、繰り返し読んでいたそうです。ナポレオンはゲーテを見るなり「ここに人有り!(Voila un homme!)」と叫び感動を表したそうです。

ゲーテにとっては、母国ドイツに攻め込んできた敵国の皇帝ナポレオンでしたが、その卓越した行動力には敬意を払っていました。

マルチな才能

19世紀を代表する経済学者カール・マルクスは「ゲーテは偉大な詩人であるだけでなく、最も偉大なドイツ人の一人である」と評しました。

作家・詩人でありながら、ワイマール公国では官僚として政務をこなし、地質学・植物学・気象学など自然科学の分野でも著作を残しました。

神学者マルティン・ルターが聖書のドイツ語訳を成し遂げたことにより大きく発展したと言われている現代ドイツ語を、完成の域に高めたのはゲーテの功績であると評価されています。

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また音楽家モーツァルトやシューベルトが、ゲーテの作品に曲をつけています。ベートーベンとも親交があり、高い評価を与えていました。

作家・詩人に留まらない、文字通り多才な人物だったのです。

若きウェルテルの悩み

ヨーロッパ中で大人気となった「若きウェルテルの悩み」。ウェルテルのファッションが流行し、自殺した友人イェルーザレムの墓が人気スポットになりました。
また、ウェルテルを真似して自殺をする若者が増えたと言います。

後に20世紀の社会学者デイヴィッド・フィリップスは「マスメディアの自殺報道に影響されて自殺が増えること」を、この事象になぞらえ「ウェルテル効果」と名付けました。

「ウィキペディア:FotoH.-P.Haack」, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons

かなわぬ横恋慕に苦しむウェルテル。
男性の方なら、このどうにもならないやるせなさを理解できると思います。(こんな経験ありますよね?)
さて女性の方に質問です。もしあなたがロッテだったとしたら、ウェルテルの想いをどのように受け止めますか?

以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。

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