アフリカは誰のもの?ヨーロッパ各国がこぞって植民地政策を進めるアフリカ大陸。コンゴの奥地では、何がおこなわれているのか?「地獄の黙示録」原作。
こんにちは。めくろひょうです。
今日は、「闇の奥」著:ジョゼフ・コンラッド 訳:黒原敏行 (光文社古典新訳文庫)
の作品背景についてお話します。
あらすじ
貿易会社に入社した船乗りのマーロウは、任地アフリカ・コンゴへ向かう。現地に着いたマーロウが目にしたのは、貿易会社が現地人から一方的に搾取する惨状だった。奥地から大量の象牙を送ってくるクルツという凄腕の駐在員に会うべく、密林の中を流れるコンゴ河を遡っていくマーロウ。
作品の詳細は、光文社古典新訳文庫のサイトから。
作品紹介文が読書欲をそそります。
アフリカの植民地化
植民地と言えば聞こえはいいですが、実態はヨーロッパ諸国が「侵略」によって獲得した土地のことです。
現地の資源そして労働力としての奴隷獲得のため、19~20世紀前半かけて、ヨーロッパ諸国は、アフリカの植民地化を進め、ほぼ全土を侵略しました。
19世紀前半までに実施されたヨーロッパ諸国のアフリカ進出は、海岸部に交易拠点を設け、現地住民と奴隷貿易を行うという形態をとっていました。
その後、19世紀中頃からは、内陸部の探検が進められ、天然ゴム、象牙、ダイヤモンド、金、銀、銅など豊富な資源が発見されました。
ヨーロッパ諸国にとっては、資源の供給地として、さらなる資本投下先として脚光を浴びるようになり、競ってアフリカの植民地化に乗り出しました。
もちろん、現地にはもともと暮らしていた住民がいるわけで、そこで衝突が起こります。中には、現地住民のほとんどが殺されてしまったケースもあるようです。
アフリカの植民地化がすすめられていく中、ベルギー国王レオポルド2世は、資源が豊富でありながら、他国の進出が遅れていた中部アフリカのコンゴに目をつけ、進出を開始しました。
注目すべき点は、ベルギーの国としての植民地政策ではなく、あくまでもレオポルド2世個人の事業として始められたことです(ベルギー議会の承認を得られなかったため)。
1884~85年にドイツの宰相ビスマルクが主催したアフリカ分割に関するベルリン会議において、コンゴはレオポルド2世の私的領地と認められ、コンゴ自由国として統治されることになりました。
ベルリン会議
ベルリン会議は、1884年11月15日から1885年2月26日までドイツ帝国の首都ベルリンで開催された国際会議。列強のコンゴ植民地化をめぐる対立の収拾が図られるとともに、列強による「アフリカ分割」の原則が確認された。
Wikipedia
参加した国はイギリス・ドイツ・オーストリア・ベルギー・デンマーク・スペイン・アメリカ・フランス・イタリア・オランダ・ポルトガル・ロシア・スウェーデン・オスマン帝国の14か国。
会議は100日以上にわたって開催され、協定を締結して終了しました。
取り決められた主な内容
1 コンゴ盆地条約 ・コンゴ盆地の自由貿易と中立化 ・コンゴ川の自由航行・奴隷貿易の禁止 2 コンゴ自由国の承認 ・ベルギー国王レオポルド2世が統治権をもつことを承認した。 3 アフリカ分割の原則の確認 ・進出した人の活動を保障できる実効支配が行われていれば占領が認められる ・ある地域を最初に占領した国がその地域の領有権をもつ
この取り決め最大のポイントは
・アフリカ現地の人々の意志は全く考慮されていない
・各国がアフリカの土地と人間を勝手に区画して統治できる
という一方的なものであることです。
しかし、この取り決めを根拠に、各国は競ってアフリカに進出し、現地部族長と「保護条約」を結び実効支配を進めました。
結果、アフリカ分割が加速されることになりました。
アフリカにおけるヨーロッパ諸国の主な領土
ベルギー国王レオポルド2世
レオポルド2世は、コンゴ川流域を調査し、数々の交易中継地を作るとともに、現地住民の部族長たちと独占的な貿易協定を締結しました。
また、巨額の私費を投じて、ジャングルが広がる地域に鉄道網を整備し、奴隷商人の取り締まりを強化するなど、近代化を進めました。
ちなみに、コンゴ自由国の面積は、ベルギー本国の70倍!
近代化を進めたレオポルド2世でしたが、やがて利益の追求に政策を転換し、象牙と天然ゴムを自分の独占事業にしました。
急速に需要が高まっていた天然ゴムの生産量を飛躍的に増大させましたが、それは、現地住民の過酷な労働のうえに成り立っていました。
生産量が上がらないと、手足を切断するという罰が科せられたました。
こうした圧政によって、コンゴの人口は1/3に減少してしまったと言われています。
アフリカで最も残虐を極めたと言われるコンゴ自由国の統治は、国際的な非難を受け、レオポルド2世は、1908年にベルギー国家の殖民地「ベルギー領コンゴ」とすることに同意しました。
ベルギー政府が国王レオポルド2世からコンゴを買い取ったのです。
ベルギー政府は、コンゴ自由国の統治方法を改め、行政府・民間資本・キリスト教伝道団の「三位一体」と言われる態勢で植民地経営にあたりました。
産業においては銅資源の開発に着手し、農業においてはパーム油の生産に力を注ぎました。
その結果、コンゴはアフリカ有数の工業地域となりました。
また、キリスト教伝道団は初等教育の普及に努めました。
第2次世界大戦後、中産階層を中心に独立の気運が高まると、ベルギーは武力による弾圧をせずに独立を承認し、1960年、コンゴ共和国として独立しました。
その後、ザイール共和国となり、現在はコンゴ民主共和国。(フランス領コンゴが独立したコンゴ共和国とは別)
闇の奥(Heart Of Darkness)
この作品は、著者であるジョゼフ・コンラッド自身が、1890年頃、船員としてコンゴ自由国を訪れた経験に基づいていて、当時のコンゴ自由国の姿が生々しく描かれています。
原題はHeartOf Darkness(闇の心)。
アフリカ奥地の闇、ヨーロッパ諸国によるアフリカ植民地化政策の闇、そうした状況に巻き込まれていく人たちの心の闇。
この作品をベースに制作された映画「地獄の黙示録」(監督:フランシス・フォード・コッポラ)をご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
「地獄の黙示録・特別完全版」(字幕版)はAmazonプライムビデオで見ることが出来ます。
ファイナルカット版は今年の2月に公開されましたね。
舞台をベトナム戦争中の戦地に置き換え、劇場公開時に物議を醸した大作です。
私も映画館で観た記憶があります。
ちなみに映画化の企画はジョージ・ルーカスが進めていたものの、「スターウォーズ」の制作に着手したため、権利をフランシス・フォード・コッポラに譲渡したとのこと。
ヨーロッパ帝国主義による領土拡大については、世界的ベストセラーになった「サピエンス全史」(著:ユヴァル・ノア・ハラリ)の下巻「第15章科学と帝国の融合」「第16章拡大するパイという資本主義のマジック」に考察がありますので、興味のある方はそちらもご一読を。
いまだに残る傷痕
つい先日、ベルギーとコンゴに関するニュースが飛び込んできました。
コンゴが独立60周年を迎えたタイミングで、ベルギーのフィリップ国王がコンゴ民主共和国のチセケディ大統領に書簡を送り、「元国王による支配の時代には残虐な行為が行われ、その後の植民地時代も苦痛と恥辱を与えた。差別という形で今も痛みを与える過去の傷について私は極めて深い遺憾の意を表したい」「あらゆる人種差別と闘い続ける」と表明したそうです。
ベルギー国王がコンゴに謝罪したのは初めてとのこと。
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
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