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【作品背景】人間の存在意義とは「夜間飛行」(サン=テグジュペリ)

フランス文学
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過酷な労働環境におかれた航空郵便操縦士たち。彼らの使命感と孤独をリアルに描いた、サン=テグジュペリ初期の傑作。

みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「夜間飛行」(サン=テグジュペリ)の作品背景をご紹介します。

あらすじ

航空郵便会社の支配人リヴィエール。彼は部下に対して常に冷徹で、時間の遅れや整備不良を決して許さなかった。「従業員を処罰するが、彼らを排除したいわけじゃない、彼らが犯すミスを排除しなければならないのだ。でなければ、操縦士が事故に遭ってしまう」というのが彼の信念であった。リヴィエールは常に不安に苛まれていた。しかし使命感からその不安を押し殺して、従業員に接していたのだ。そして彼は、危険な暴風雨が予想される中、操縦士を送り出す。

職務に対する責任と個人の犠牲、そして人間の存在意義についての問いを投げ掛ける、サン=テグジュペリ初期の傑作。

作品の詳細は新潮文庫のHPで。

『夜間飛行』 サン=テグジュペリ、堀口大學/訳 | 新潮社
第二次大戦末期、ナチス戦闘機に撃墜され、地中海上空に散った天才サン=テグジュペリ。彼の代表作である「夜間飛行」は、郵便飛行業がまだ危険視されていた草創期に、事業の死活を賭けた夜間飛行に従事する人々の、人間の尊厳を確証する

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

1900年、フランス・リヨンで生まれました。貴族の家系で、幼少期に父を亡くし、母、姉妹弟とともに育ちます。幼い頃から科学技術に興味を持ち、特に飛行機に強い憧れを抱きます。バカロレア(大学入学資格試験)に合格しますが、希望していた海軍士官学校の受験には失敗してしまいました。1921年に徴兵されて空軍に入り、これが彼の飛行士としてのキャリアの始まりになりました。その後、一時飛行士の職を離れますが、1926年、ラテコエール社に入社し、航空郵便に従事します。この会社の上司ディディエ・ドーラによって、飛行士として鍛えられました。この人物が本作の主人公・リヴィエールのモデルになりました。

フランス⇔アフリカを中心とした路線を飛行しながら、1929年に処女長編『南方郵便機』を出版。ラテコエール社の事業を引き継いだアエロポスタル社(後にいくつかの会社と統合し現在のエール・フランス社になる)に移り、アルゼンチンのブエノスアイレスに赴任します。南米大陸の航空路調査に従事しながら、結婚を経て、1931年に『夜間飛行』を出版。この作品でフランスの権威ある文学賞・フェミナ賞を受賞し、作家として認められるようになります。

その後、職を辞し、テストパイロット、ジャーナリスト、飛行記録への挑戦などを経験します。機体トラブルでサハラ砂漠に不時着し、生存が危ぶまれるようなこともありました。こうした体験をベースに書き上げたエッセー『人間の土地』でアカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞、作家としての地位を不動のものにしました。

第二次世界大戦が勃発すると偵察機部隊で活躍します。その後ニューヨークに渡り、アメリカに亡命。『戦う操縦士』そして後に世界的大ベストセラーになる『星の王子さま』を出版します。第二次世界大戦が激化すると母国フランスの空軍に志願し、北アフリカ戦線に合流。1944年7月31日、コルシカ島からフランス本土の偵察飛行に出ますが、帰還せず消息不明になりました。

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1998年、地中海・マルセイユ沖の海域で、サン=テグジュペリと妻・コンスエロの名が刻まれたブレスレットが、トロール船によって発見されます。この発見を受けて、広範囲な捜索が行われ、2000年、多くの墜落機の残骸から、サン=テグジュペリの搭乗機を特定。戦死が確定しました。なお、本人の遺骨は見つかっていません。

フェミナ賞(Prix Femina)

サン=テグジュペリが作家として認められるきっかけとなったフェミナ賞受賞。このフェミナ賞について簡単に触れておきます。

1904年に創設された、フランスで最も権威のある文学賞のひとつです。作家、ジャーナリスト、学者など、フランス文学界の著名な女性たちで構成された審査員団が、選考をおこないます。フランス語で執筆された文学作品の、質やテーマ、革新性に基づいて受賞作が選ばれます。小説を中心に与えられますが、ジャンルは特に限定されておらず、フィクションからノンフィクションまで、幅広い作品が対象になります。作品の内容やテーマに関しても制約はなく、人間の心理や社会問題、哲学的なテーマなど、多様な作品が評価されてきました。文学の美的価値だけでなく、社会的な意義や時代性も重要視されます。

このような権威ある賞を『夜間飛行』で受賞したことは、サン=テグジュペリの作家としてのキャリアにとって、重要な転機となりました。飛行士としての経験が色濃く反映された『夜間飛行』は、作品の独自性、詩的な描写、そして極限状況における人間の心理への洞察が高く評価されたのです。

航空郵便の歴史

『夜間飛行』が書かれた1930年代初頭は、航空事業が世界中で発展を始めた時期です。契機になったのは第一次世界大戦による技術の発達です。従来の地上輸送に代わる迅速な方法として注目され、多くの国で実験的に導入されました。しかしその技術は、まだ現在のようなレベルではなく、特に夜間飛行は非常に危険なものでした。それでも、航空機を通じて、世界中の人々や物資を迅速に運ぶことが求められており、飛行士たちは過酷な条件下で任務を遂行していました。

1903年にライト兄弟が動力飛行に成功したことで、航空技術は急速に進歩し、飛行機が商業目的で使用されるようになりました。その後、1911年にインドで開催された万国博覧会で世界初の「エアメール」が輸送され、1918年、アメリカの郵便局が初めて正式な航空郵便サービスを開始しました。これに続いて、各国でも航空郵便の試みが行われるようになります。

第一次世界大戦後、各国の航空業界は急速に発展しました。特にアメリカやヨーロッパでは、航空機の技術が向上し、航続距離や積載量が増加したことで、航空郵便が実用化されるようになりました。1920年代には、アメリカの「アメリカン・エアラインズ」やフランスの「アエロポスタル」など、航空郵便会社が設立され、本格的なサービスが提供されるようになりました。

航空郵便は、地上輸送に比べて大幅に時間を短縮できるため、特に急ぎの国際郵便において、その利便性が評価されました。航空会社は、主要都市を結ぶ航路を開設し、効率的な配送を実現します。その結果、人々の生活やビジネスのスタイルが変わり、特に国際貿易や外交において重要な役割を果たすようになりました。また、航空郵便の発展は、その後の商業航空の発展にもつながり、現代の航空業界の基盤となりました。

サン=テグジュペリの想い

『夜間飛行』に込められたサン=テグジュペリの想いを、いくつかあげておきます。ひとつは、人間の使命感と責任です。リヴィエールは、航空郵便という大きな使命を負った事業を成功させるには、個人の犠牲が避けられないと信じて、過酷な規律を貫こうとします。彼の冷徹な判断は「人間の存在を意義あるものにするのは何か」という考えに基づいています。

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次に、孤独と闘う人間の姿です。操縦席という狭い空間に押し込められ、夜の空を飛ぶ操縦士たちは、耐え難い孤独に包まれます。さらに圧倒的な自然の力を前に、人間の無力さとともに、死の恐怖に晒されます。それでも彼らは使命感と責任を持って飛び立ちます。

最後は、科学技術の進歩と生身の人間のアンバランスな状態です。航空技術は、人々をつなぐ重要な手段ですが、それを支えるのは生身の人間である操縦士たちです。常に危険に晒される操縦士の命と、科学技術の進歩によってもたらされる利便性。現代社会においても重要なテーマです。

夜間飛行

人間の存在意義や使命感、圧倒的な自然の力、過酷な飛行の中での孤独や死の恐怖。サンテグジュペリは、自らの体験を基に、それらをリアルに描き出しています。

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自らに課せられた、責任と命の尊さを理解したうえで、冷徹な判断を下す支配人・リヴィエール。
自らに課せられた使命を果たそうと、孤独と死の恐怖に立ち向かい飛び立っていく、操縦士・ファビアン。
手に汗握る緊迫したストーリー。サン=テグジュペリが込めた想いを感じてみてください。

以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。

新潮文庫版の翻訳を担当した堀口大學氏はサン=テグジュペリと同時代を生きた方です。巻末のあとがきはリアルタイムで書かれています。

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