16歳のフィリップと15歳のヴァンカ。少年少女から大人の男女へ、もがきながら成長していくふたりの前に現れた、美しい淑女。
みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は「青い麦」(ガブリエル・コレット)の作品背景をご紹介します。
あらすじ
毎年夏は、それぞれの家族とともに海辺の別荘で過ごす16歳のフィルと1歳下のヴァンカ。性を意識し始めたフィルの前に現れた大人の女性ダルレー夫人。彼女の魅力に引き付けられていくフィルと、その様子に感づくヴァンカ。若いふたりの淡い恋の行方は。
作品の詳細は、光文社古典新訳文庫のHPで。
※新潮文庫版は廃版のようです。
シドニー=ガブリエル・コレット
幼い頃より文学に親しんだコレットの才能が開花するのは、14歳上のアンリ・ゴーチエ=ヴィラールと結婚してからです。
文才を見抜く力のあった夫アンリは、自分の名義でコレットの作品「学校のクローディーヌ」を出版します。この作品は人気を博し、後にシリーズ化されることになります。
しかし、ここで作家業に専念しないことが、コレットの名を高めることになります。
アンリと離婚後、パリのミュージック・ホールで(ストリップまがいの!)パントマイム役者として活動します。高級娼婦たちと付き合ったり、同性愛に耽ったり、奔放な生活を続けます。
その後、ホールでコレットを見初めた編集者アンリ・ド・ジュヴネルと再婚し、執筆活動に専念します。また第一次世界大戦中は、ジャーナリストとして戦場に赴いたりもしたそうです。
やがて夫アンリの連れ子であるベルトランと恋愛関係に陥り、アンリとは離婚することになります。目まぐるしく変化していく生活の中で、彼女は多くの作品を発表しました。
「青い麦」はベルトランとの恋愛関係を題材に生み出されたといわれています。
62歳の時、16歳下のモーリス・グドケと3度目の結婚。グドケがナチスのゲシュタポに収容された際には、解放に奔走しました。
女性初のレジオンドヌール・グラントフィシエ受勲、フランスの権威ある文学賞を主宰するアカデミー・ゴンクールにおいて女性初の総裁を務めるなど、広範囲にわたって活躍しました。
フランス社会の恋愛と「青い麦」
光文社古典新訳文庫版の解説において鹿島茂氏が展開するフランス社会における恋愛事情と「青い麦」の特殊性に関する考察が興味深かったので、簡単に紹介しておきます。
作品に描かれている時代のフランス・ブルジョワ階級においては、結婚は厳密に管理されており、家柄・階級などによって結婚相手が決められるのが普通であり、当人同士の自由恋愛によるものではありませんでした。そもそも、男女は別々に教育を受けるため、若い男女間に恋愛関係が育まれる土壌が少なかったといえます。
そのため、いわゆる恋愛は、結婚後に夫婦間公認のうえで(日本語で言えば)不倫という形で生じました。肌感覚では理解できない内容ですが、「赤と黒」(スタンダール)や「ゴリオ爺さん」(バルザック)を思い出してください。どちらも若い男が歳上の人妻に恋する話ですよね。
そうした時代に、(ありえない)若い男女の恋愛を描いた「青い麦」が発表されたのです。
オードリー・ヘップバーン
映画「モンテカルロへ行こう」の撮影ロケでフランスのリヴィエラを訪れていた若きオードリー。
自身の戯曲作品「ジジ」の主演女優を探していたコレットは、この現場に居合わせて、「私のジジを見つけたわ!」と言ってオードリーの主演を即決したというエピソードが残っています。
この「ジジ」はブロードウェイで大ヒットし、直後に公開された「ローマの休日」でオードリーは一躍トップ女優になっていきます。コレットの慧眼ぶりを垣間見ることが出来ますね。
まとめ
現代に生きる私たちにとって「青い麦」は、若い男女の淡い恋物語に感じられますが、作品に描かれている時代のフランス恋愛事情を鑑みると、フィリップとヴァンカの関係は、特別なものだったことがわかります。
1954年81歳で亡くなったコレット。時の政府は国葬を計画したものの、生前の奔放な態度を理由に、ローマ・カトリック教会の反対にあい、国民葬として、多くの市民が参加して営まれました。
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
関連映画
「コレット」(監督ウォッシュ・ウェストモアランド)2018年作品
1890年代のベル・エポック真っただ中のパリを舞台に、フランスの文学界でいまなお高い人気を誇る女性作家シドニー=ガブリエル・コレットの波乱と情熱に満ちた人生を描いたドラマ。
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