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【作品背景】されど、サーシャは天使だった。「罪と罰」(ドストエフスキー)

ロシア文学
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1865年7月。ロシアの首都サンクトペテルブルク。暑さと砂埃。猥雑な喧噪。そして悪臭。二日間何も食べていない貧しい青年が動き出す。

みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「罪と罰」(ドストエフスキー)の作品背景をご紹介します。

あらすじ

「選ばれた非凡人は、自分の思想を実行するためであれば、法律を踏み越える権利を持つ。」という独自の理論をもとに、強欲な金貸しの老婆を殺害した元大学生ラスコーリニコフ。しかし理論とは裏腹に、彼は罪の意識に苛まれる。そんな状況の中で出会った娼婦ソーニャの生き方が、彼の心に一筋の光を射す。

作品の詳細は、新潮社のHPで。

ドストエフスキー、工藤精一郎/訳 『罪と罰〔上〕』 | 新潮社
鋭敏な頭脳をもつ貧しい大学生ラスコーリニコフは、一つの微細な罪悪は百の善行に償われるという理論のもとに、強欲非道な高利貸の老婆を殺害し、その財産を有効に転用しようと企てるが、偶然その場に来合せたその妹まで殺してしまう。こ

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー

1821年、モスクワで生まれました。医師である父親のもと、15歳までモスクワで過ごします。その後、首都サンクトペテルブルクに出て、兵学校に入学します。卒業後は工兵隊に勤務しますが、1年ほどで退職し作家を目指します。

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1846年、処女作「貧しき人々」が高い評価を受け、華々しく作家デビューを果たしますが、その後の作品は評価を得られませんでした。やがて社会主義サークルに参加したことにより、1849年に逮捕されてしまいます。

裁判で死刑判決を受けますが、刑執行の直前に皇帝ニコライ1世による恩赦で減刑となり、極寒の地シベリアで服役することになります。この時の体験に基づいた作品「死の家の記録」を発表するなど、シベリア流刑は以後の作風に大きな影響を与えました。

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刑期終了後ペテルブルクに戻り、兄ミハイルが発行する雑誌を中心に作品を掲載します。たびたびヨーロッパ各地を旅行しますが、賭博に熱中して借金を重ね、経済的に苦しい生活に陥ります。そうした中発表されたのが「罪と罰」です。この作品は雑誌連載中から人気を集めました。

「罪と罰」とともに、後に後期五大長編小説と呼ばれる「白痴」「悪霊」「未成年」を次々と発表し、1881年、最後の作品となる大作「カラマーゾフの兄弟」を完成させると、その数ヵ月後に亡くなりました。

登場人物の名前

この作品には様々な人物が登場しますが、ストーリーを追ううえでやっかいなのが、名前です。そもそも私たち日本人はロシア人の名前に触れる機会が少ないうえに、ひとりの人物が様々な名称で呼ばれていて、誰が誰だかわからなくなってしまうことがあります。そこで主人公ラスコーリニコフを例にとって、名前の仕組みを簡単に紹介します。

フルネームは、名前+父親の名前+苗字(姓)という順番で並んでいます。

ラスコーリニコフのフルネームは、
ロジオン(名前)・ロマーヌイチ(父親の名前)・ラスコーリニコフ(姓)
ですが、作中では、様々な呼ばれ方をしています。
「ロージャ」(ニックネーム)家族や友人から
「ロジオン・ロマーヌイチ」他人から 日本語で言えば〇〇さんといった感じ
「ラスコーリニコフ」会話文ではない地の文
いずれも主人公「ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ」を指しています。

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どのように呼ばれたかによって、誰に話しかけられたのかが推測できますが、わかりにくいことは確かですね。登場人物表をつくって手元に置きながら読み進めるのもおすすめです。
ちなみにラスコーリニコフの妹アヴドーチヤ(ドゥーネチカ、ドゥーニャ)のフルネームは
アヴドーチャ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコで、下線部が女性形になっています。

ギャンブル狂

ドストエフスキーの肖像を見ると、いかつい表情で、真面目一筋といった印象を受けませんか。ところが彼は大のギャンブル好きでした。

旅行する先々でギャンブルにのめり込み、借金まみれの状況が続き、生涯貧乏だったようです。(ルーレットに明け暮れた自身の経験を題材に「賭博者」という作品も執筆しています)

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借金返済のため、出版社と無理な契約をして、締め切りに追われる日々を送っていたといいます。そうした状況の中で連載が開始された作品こそ、この「罪と罰」なのです。なんかイメージが狂ってしまいますね。

時間に追われる中、この作品のエピローグ部分は、ドストエフスキーが語った内容を速記係が記述するという形で書き進められました。この時の速記係アンナ・スニートキナは後にドストエフスキーの2番目の妻となりました。

1ルーブリの現在価値は

作品中の様々な場面でお金の話が出てきます。そもそも貧乏なラスコーリニコフが金貸しにお金を借りる場面からこの物語はスタートしますし。

そこで当時のロシアで使われていたお金の価値は、現在の日本円に換算するとどれくらいなのか、調べてみました。ネットで検索するとかなりの考察を読むことができます。みなさん気になっていたんですね。

多くの説がありましたが、最もしっくりきたのが、1ルーブリ≒1,000円でした。

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ラスコーリニコフが金貸しの老婆に質草として持って行った父親の形見である時計
・ラスコーリニコフの希望4ルーブリ≒4000円
・老婆の査定額は1ルーブリ50コペイカ≒1500円
母プリヘーリヤの年金
・120ルーブリ≒120,000円
友人ラズミーヒンがラスコーリニコフのために買い揃えた衣料品一式(帽子・シャツ・下着・靴など)
・10ルーブリ≒10,000円

いかがですか?

作品の舞台サンクトペテルブルク

ロシア西部のネヴァ川河口に位置するこの街は、ヨーロッパ諸国との貿易窓口としての役割を期待され、初代ロシア皇帝ピョートル1世によって造られました。ピョートル1世が、自分と同じ名前の聖ペテロにちなんで名付けたといわれています。(ペテロのロシア語読みがピョートル)

この地域は河口にあることから湿地帯で地盤が弱く、たびたび洪水が起こり、大規模な工事が繰り返し行なわれました。

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1712年、ピョートル1世は古都モスクワからこの街に遷都し、貴族や商人・職人を移住させました。人口3万人ほどからスタートしたこの街は、作品の舞台となる19世紀中頃には人口60万人。1861年に発せられた農奴解放令によって解放された元農奴たちが流入して人口の増加に拍車がかかっていた時期です。

皇帝が治める帝政が揺らぎ始めるという政情の中、首都サンクトペテルブルクは、混沌とした猥雑な街として描かれています。

罪と罰

救いようのない男ラスコーリニコフ。予審判事ポルフィーリイとの息詰まる心理戦。謎の男スヴィドリガイノフの狙いは。そして天使は舞い降りた。

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発表から150年以上たった現在でも、世界中で読み続けられている文豪ドストエフスキーの傑作長編。
犯罪小説として読んでも良し。恋愛小説として読んでも良し。心理小説やキリスト教小説として読んでも良し。19世紀末のロシアを感じる社会小説として読んでも良し。

読み手次第で、この作品のとらえ方は様々であり、楽しみ方も様々だと思います。
新潮文庫だと上下巻合わせて厚さ約3.8cm。
是非チャレンジしてみてください。

以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。

光文社古典新訳文庫の「罪と罰」(全3巻)には、訳者である亀山郁夫氏の「読書ガイド」が掲載されており、非常に興味深い考察がなされています。文字通り「ガイド」として最適なテキストだと思います。

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