文豪ユゴーが、みずからの人生哲学、政治・社会思想、歴史観、宗教観を注ぎ込んだ世紀の大作。ジャン・バルジャンとは何者なのか。
みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「レ・ミゼラブル」(ヴィクトル・ユゴー)の作品背景をご紹介します。
あらすじ
たった一片のパンを盗んだ罪で服役した男ジャン・ヴァルジャン。脱獄を繰り返し、刑期は19年に。服役後に出会ったミリエル司教の教えによって改心した彼は、マドレーヌと名を変え、富と名声を得るが、ジャヴェール刑事に正体を疑われる。ナポレオン没落後の王政復古から七月革命、六月暴動へと続くフランス激動の時代を舞台に、ジャン・ヴァルジャンと彼を取り巻く人々、そして社会情勢・庶民生活を克明に描いた一大長編小説。
作品の詳細は新潮文庫のHPで。
ヴィクトル・マリー・ユゴー
1802年、ナポレオン軍の軍人だった父親の任地フランス東部ブザンソンで生まれました。その後、フランス国内、イタリア、スペインと、ヨーロッパを転々とする生活を送りました。
パリの寄宿学校に入学すると、詩作に打ち込み、アカデミー・フランセーズ(フランスの国立学術団体)による詩のコンクールで優秀な成績を残しました。
1822年に発表した詩集「オードと雑詠集」がフランス国王ルイ18世の目に留まり、国王から年金をもらえるようになります。
1825年、23歳という若さでレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ勲爵士)を授与されます。幼い頃、ともに時間を過ごすことが少なかった父親と過ごす時間も増え、父のためにナポレオンを讃える詩を書きます。これをきっかけにナポレオンを次第に理解するようになります。
1829年には、死刑制度廃止を訴えた「死刑囚最後の日」を出版、またスペイン宮廷を舞台にしたロマンス戯曲「エルナニ」を手掛け、その公演は大成功を収めました。この作品は、当時主流であった古典主義(古代ギリシアを模範とする芸術様式)と相容れないロマン主義(古典主義が重視しなかった個人のオリジナリティを重視する芸術様式)の作品であり、両主義の対立を引き起こすことになります。しかし「エルナニ」の成功により、ユゴーはロマン主義を代表する作家としての地位を確立しました。
1837年、再びレジオンドヌール勲章(オフィシエ将校)を授与され、国王ルイ・フィリップをはじめとする王族との親交も深まりました。
1845年、ルイ・フィリップから子爵の位を授けられて貴族になり、政治活動に軸足を置くようになります。死刑廃止、教育改革、社会福祉などを訴えますが、1851年に政権を握ったナポレオン3世から弾圧を受け、ベルギーに亡命します。
1843年から1852年までの約10年間、ユゴーは作品を1冊も出版していません。政治家としての活動が忙しかったこともありますが、1845年頃から「レ・ミゼラブル」の執筆に着手していたからです。
亡命先のベルギーからイギリス領チャネル諸島に移住し、1862年に「レ・ミゼラブル」を完成させます。この作品は大ヒットとなりました。
1870年に勃発した普仏戦争(フランス帝国とプロイセン王国の間で行われた戦争。この戦争後プロイセン王国を中心にドイツ帝国が樹立される。)でフランスが敗北し、ナポレオン3世が失脚すると、ユゴーは19年ぶりに帰国。
その後も、執筆活動と政治活動を続け、1885年、パリで亡くなります。83歳でした。葬儀は国葬として執り行われました。
フランス激動の時代
「レ・ミゼラブル」に描かれているフランス激動の時代について、流れを簡単にまとめておきます。
1789年フランス革命
国王・貴族・聖職者が領地と権力を独占していたが、それに不満を持ったブルジョア階層(商工業者など)が蜂起し、国王ルイ16世や妃のマリー・アントワネットを処断。一部の貴族とともに新しい政治体制を確立した。
1804年ナポレオン皇帝即位
軍人ナポレオンがフランス革命後の混乱を収拾して皇帝に即位。軍事独裁政権を確立した。強力な軍事力でヨーロッパを席巻したが、ワーテルローの戦いにおいてヨーロッパ連合軍に敗北。ナポレオンは失脚した。
1815年王政復古 ※物語はこの頃からスタート
ナポレオン失脚後、ヨーロッパ諸国の後ろ盾を得て、ルイ18世が王座に就き王政が復活。
1830年七月革命
国王・貴族中心の政治体制に逆戻りした結果、市民階級は不満を募らせ、パリで蜂起。軍と市民との市街戦は7月27日から29日の3日間で決着がついた。国王シャルル10世は退位し、「フランス国王」ではなく「フランス国民の王」ルイ・フィリップが王位に就き、絶対王政(君主が絶対的な権力を有する体制)ではなく立憲民主制(君主の権力が憲法によって制限されている体制)を採用。
1832年六月暴動 ※物語終盤のクライマックス
ルイ・フィリップ体制に不満を持つ共和主義者(王政ではなく共和制を望む人々)やプロレタリアート(労働者階級)たちが、王政を打倒すべく蜂起。6月5日に暴動が始まったが翌6日には軍によって鎮圧された。
ジャン・ヴァルジャンのモデルになった人物
ジャン・ヴァルジャンとジャヴェール刑事のモデルになったといわれている人物がいます。彼の名はフランソワ・ヴィドック。
犯罪者でしたが、服役後パリ警察の密偵として働き、やがて、国家警察パリ地区犯罪捜査局を創設して初代局長となりました。その後は、世界初の探偵になった、不思議な経歴を持つ人物です。
また、コゼットは、ユゴー夫人のアデールと愛人のジュリエット・ドルーエのふたりが。マリユスは、若き日のユゴー自身といわれています。
「レ・ミゼラブル」同様、ヴィドックをモデルにした人物が登場する「ゴリオ爺さん」(バルザック)の作品背景はこちら。
世界一短い手紙
「レ・ミゼラブル」出版後の売れ行きが気になったユゴーは、旅先から出版社に宛てて
「?」
とだけ記した手紙を出しました。
すると出版社から
「!」
とだけ記された返事が来ました。
「売れてる?」
「売れてます!」
という意味です。
この2通手紙は、世界一短い手紙のやり取りとして、ギネス世界記録に認定されているとか。
ミュージカルと映画
1980年、パリで初演されたミュージカルは、1985年にロンドンのウエストエンド、1987年にニューヨークのブロードウェイへと進出しました。その後、日本を含む世界中で上演され、大ヒット作になりました。現在も、その人気は衰えていません。
また、2012年には、ヒュー・ジャックマン主演で、そのミュージカルを映画化した作品が公開され、大ヒット。アカデミー賞・3部門を受賞しました。興味深いのは、原作を映画化したのではなく、ミュージカルを映画化した点ですね。
みなさんも、ご覧になったのではないでしょうか。
「悲惨な人々」と「あゝ無情」
レ・ミゼラブル(Les Misérables)は「悲惨な人々」という意味です。
フランス革命から六月暴動に至る激動の時代。人々は、否応なくその渦に吞み込まれ、翻弄されていきます。
ジャン・ヴァルジャン、コゼット、マリユス。
そして、この3人と関りを持つことになる多くの「悲惨な人々」の姿が、克明につづられていきます。
物語の展開とは直接関係のない描写や説明が長々と続く箇所もありますが、当時のフランスにおける社会情勢や庶民の生活が作品の背景として描かれているからこそ、この作品の臨場感が増すのだと思います。
日本においては、作家・黒岩涙香が「あゝ無情」というタイトルで、自らが主宰する新聞「萬朝報」に翻案を連載し(1902年~1903年)ユゴーの名が知られるようになりました。
このタイトルネーミング秀逸ですね。
ジャン・ヴァルジャンに対する誤解や思いのすれ違いにイライラし、ジャベールの執拗さにハラハラし、コゼットとマリユスの純粋さに心を洗われる。
伝記として読んでも良し、サスペンス小説として読んでも良し、恋愛小説として読んでも良し。そしてフランス激動期の資料として読んでも良し。
この作品には様々な楽しみ方があります。
大長編ですが、是非チャレンジしてみてください。
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
様々な出版社から発売されています。電子書籍なら廉価なものも入手できます。子供向けや抄訳されたものもありますので、購入の際にはご注意ください。
新潮文庫版
岩波文庫版には原書の挿絵が多数収録されています
マンガで全体像をつかんでから小説を読み始めるのもオススメ
映像化作品
2012年 イギリス・アメリカ作品
監督:トム・フーパー 主演:ヒュー・ジャックマン
世界各地でロングランヒットを記録したミュージカル版を映画化
2012年アカデミー賞で3部門受賞
「助演女優賞(アン・ハサウェイ)」「メイクアップ&ヘアスタイリング賞」「録音賞」
2018 イギリス作品
BBC制作によるテレビドラマ
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