温和で信心深い長女メグ、活発な次女ジョー、心のやさしい三女ベスに、無邪気な四女エイミー。四姉妹の成長を爽やかに描き、女の子たちの圧倒的な支持を受け続けている児童文学の傑作。
あらすじ
南北戦争時代、アメリカ・マサチューセッツ。牧師である父親が南北戦争に従軍し、母親とともに留守をあづかるマーチ家の四姉妹メグ、ジョー、ベス、エイミー。決して裕福ではないが、仲良く暮らしながら父親の無事を祈る、思春期の彼女たち。彼女たちの周囲で起こる、楽しい出来事や悲しい出来事。そして大きな試練が彼女たちを襲う。
優しくそして時には厳しく彼女たちに接する母親に見守られながら、姉妹たちは力強く成長していく。
作品の詳細は光文社古典新訳文庫のHPで。
ルイーザ・メイ・オルコット
1832年、アメリカ・フィラデルフィアで父ブロンソン・母アビゲイルのもと、次女として生まれました。父ブロンソンは著名な思想家・教育者でしたが、金銭に無頓着で、経済的には豊かと言えない家庭でした。父親は、自らの理想に基づき、様々なことに挑戦し、そして失敗しました。働き者の母アビゲイルが、家族を支えていたのです。
ボストンに移った家族に、三女エリザベス、四女メイが生まれます。
姉アンナと自分を含む、この四姉妹が「若草物語」のモデルとなりました。
1840年、マサチューセッツ・コンコードに引っ越します。ここでの生活が「若草物語」の骨格をなすものになります。
父の友人であるエマーソン(思想家)やホーソーン(作家)といった人たちとの交流が、作家になるうえで影響を与えたようです。
1848年にボストンに転居しましたが、貧しい生活は続き、オルコットたち姉妹は、家庭教師や家政婦などの仕事で、家計を助けました。この頃から、仕事の合間に執筆活動を進めていました。 30歳になる頃までには、恋愛小説や怪奇小説などの大衆向け作品を多数執筆し、作家として生計を立てられるようになります。
1858年、マサチューセッツ・コンコードに戻り、オーチャード・ハウスと呼ばれる家に移ります(現在この家はオルコット記念館)。この家を舞台に設定し、自分たち四姉妹の暮らしぶりをベースに書き上げた作品が「若草物語」(1868年発表)です。この作品は高い評価を受け、ルイーザは作家としての地位を確立し、経済的にも家族を養えるようになりました。
1888年、体調を崩していた父ブロンソンが亡くなった2日後の3月6日、脳卒中で亡くなりました。55歳でした。
天路歴程
物語の中にたびたび登場する「天路歴程」。
イギリスの学者ジョン・バニヤンによって17世紀に書かれた宗教書です。難しい研究書ではなく、キリスト教信者が人生において経験するであろう様々な困難や、それを乗り越えていく姿を、主人公の旅を通じて描いた寓話です。
プロテスタントにとっては、とても重要な宗教書と位置付けられ、特に、初期アメリカ移住者であるピューリタン(清教徒)に与えた影響は大きかったそうです。
オルコットが育ったマサチューセッツは、敬虔なピューリタンの流れを色濃く残した街だったので、「若草物語」の登場人物たちの世界観・人生観形成に大きな影響を与えることになったのです。
Little women
この作品の原題は「Little women」。直訳すれば「小さな女性たち」といった感じでしょうか。「Little girl」ではないところに、著者オルコットの思いが込められているのです。オルコットの父ブロンソンは、四姉妹を「Little women」と呼んだそうです。つまり、子ども扱いせず、ちいさいけれど女性として向き合ったということです。
南北戦争が勃発し、アメリカ社会が大きな変革期を迎える中、(男性にとって)理想的な良妻賢母になることだけが女性の生き方ではないという考え方が芽生え始めていたのです。
教育者として理想を求めた父、女性の権利確立を求めた活動家の母。ふたりの影響を受け、オルコットも女性が自立できる社会の実現を目指し、様々な活動に取り組みました。
「若草物語」は発表当時も多くの女性に支持されましたが、現在でも、アメリカのリーダー的な立場にいる女性たちの多くが、子供のころに影響を受けた作品として「若草物語」を挙げるそうです。
「Little women」が「women」に成長していく様子を、温かく見守ってみませんか。
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
東洋経済ONLINEに掲載された記事です
「若草物語」次女ジョーの苦闘に描かれた深い意味~150年前「男の子になりたい」と願った少女の人生
『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』
第92回アカデミー賞で、作品賞、主演女優賞、助演女優賞、脚色賞、作曲賞、衣装デザイン賞の6部門にノミネートされ、衣装デザイン賞を受賞。ジョーが過去を振り返る形で物語が進んでいく。
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