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【作品背景】ロンドン貧民窟に差す一筋の光「オリヴァー・ツイスト」(ディケンズ)

イギリス文学
Image by Andrew Becks from Pixabay

19世紀のロンドン。庶民の暮らしは、貧しく凄惨なものだった。無力だが誠実な孤児の少年オリヴァーの周囲には、悪人と善人が。

みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「オリヴァー・ツイスト」(ディケンズ)の作品背景をご紹介します。

あらすじ

救貧院で育った孤児オリヴァー・ツイスト。町の葬儀屋に売られて働くことになるが、兄弟子のいじめに遭い、ロンドンを目指して逃亡する。
ロンドンで、ある少年と出会うが、彼は窃盗団の一味だった。
無力だが誠実なオリヴァーに次々と襲い掛かる悪の手。彼に救いの手を差し伸べる善良な人たち。社会に翻弄されながらも立ち向かっていく、オリヴァーの運命は。
稀代のストーリーテラー・ディケンズ、初期の傑作。

作品の詳細は新潮文庫のHPで。

『オリヴァー・ツイスト』 チャールズ・ディケンズ、加賀山卓朗/訳 | 新潮社
孤児オリヴァー・ツイストは薄粥のお代わりを求めたために救貧院を追い出され、ユダヤ人フェイギンを頭領とする少年たちの窃盗団に引きずり込まれた。裕福で心優しい紳士ブラウンローに保護され、その純粋な心を励まされたが、ふたたびフ

チャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ

1812年、イギリス・ハンプシャー州のポーツマス郊外で生まれました。父親は海軍に勤務していました。中流階級ではありましたが、裕福だったわけではなく、きちんとした教育を受けられませんでした。1824年、浪費癖のあった父親は借金が原因で破産し、監獄に収監されてしまいました。ディケンズは幼くして靴墨工場で働くことになりました。この工場での過酷な労働経験は、彼の人生に深い影響を与え、本作などに、貧困や児童労働に対する強い批判を込める原点となりました。

その後は、法律事務所の事務員や法廷の速記記者などを経験し、20歳を過ぎた頃、新聞記者としてのキャリアをスタートさせました。政治や裁判の報道における、鋭い観察力やユーモアのセンスが認められるようになり、記者として働きながら雑誌にエッセイを投稿するなど、執筆活動を始めます。1836年、最初の連載小説『ピックウィック・ペーパーズ』が好評で、人気作家の仲間入りを果たしました。

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結婚を経て、1837年、自らが編集長をつとめる雑誌で「オリヴァー・ツイスト」の連載を開始。ディケンズの人気は不動のものとなりました。その後も、子供たちに人気の高い『クリスマス・キャロル』(1843年)、自伝的作品『デイヴィッド・コパフィールド』(1849年-1850年)、フランス革命を描いた『二都物語』(1859年)、自身の集大成ともいえる晩年の傑作『大いなる遺産』など、社会的なテーマを包含した作品を次々に発表しました。

またディケンズは作家としての活動だけではなく、社会問題に対する関心から、慈善活動にも積極的に関わり、社会改革を訴えました。晩年には、講演・公開朗読などの活動も精力的におこない、イギリス国内はもちろん、諸外国でも熱烈な支持を受けました。

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1870年、ケント州の自宅で、脳卒中により亡くなりました。58歳でした。
ウェストミンスター寺院に埋葬されたディケンズの墓碑銘は、このように刻まれています。

“He was a sympathiser to the poor, the suffering, and the oppressed; and by his death, one of England’s greatest writers is lost to the world.”
「彼は、貧しい人々、苦しんでいる人々、虐げられている人々の共感者であり、彼の死によって、イギリス最大の作家の一人が世界から失われたのである。 」

産業革命の影響

作品の舞台となった19世紀前半のイギリスは、産業革命の真っ只中でした。産業革命は経済の飛躍的な発展をもたらしましたが、一方でさまざまな負の影響も社会に及ぼしました。代表的なものを挙げておきます。

環境汚染の進行

工場の煙突から排出される煤煙や、川に垂れ流される工業排水が、深刻な環境汚染を引き起こしました。空気や水の質が悪化し、工業都市では常に煤煙が漂うような状態でした。また、産業廃棄物が適切に処理されないことで、周辺の生態系や農業に悪影響を及ぼしました。

労働環境の悪化

工場での労働が一般化するにつれて、労働環境は極めて過酷なものになりました。労働者は長時間労働を強いられ、安全管理も不十分。そのため事故が起きることも多く、労働者の健康被害が深刻化しました。

児童労働の蔓延

産業革命期には、家計を支えるために多くの子供たちが工場で働くようになりました。子供たちは小さな体を活かして機械の間に入り込んで作業することも多く、危険な状況にさらされました。児童の長時間労働は、成長への悪影響や健康問題を引き起こし、教育の機会を奪うことにもなりました。

都市部での貧困と衛生環境の悪化

産業革命により、農村部から都市部への人口流入が急増し、都市が急速に拡大しました。急激な都市化により、住宅やインフラが追いつかず、多くの労働者が狭く不衛生なスラム街に住むことを余儀なくされました。こうした環境は、コレラや結核などの感染症を広め、住民の健康に大きな影響を与えました。

救貧院

オリヴァーが育った救貧院とは、貧困者に提供される住居で、10世紀頃から設置され、修道院などが運営にあたっていました。しかし、宗教改革による「働かざる者、食べるべからず」という考え方の広まりや貧困者の増加、また、1934年に新救貧法という法律が制定されて、運営費用が寄付から税金に変わったことにより、救貧院は、慈善事業から「貧困者の監獄」と呼ばれる強制労働の場になっていきました。

救貧院は、衣食住を提供する代わりに、強制的な労働を課しました。しかし、環境は劣悪で衛生状態も悪く、食事は粗末なものでした。また、収容者は性別や年齢によって分けられ、家族が一緒に生活することもほとんど許されませんでした。税金でこの施設を運営していた政府は、施設での生活をできる限り不快にして、貧しい人々が安易に頼らないようにしたいと考えていたのです。

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ディケンズはそのような現状を問題視し、「オリヴァー・ツイスト」におけるひとつのテーマとして盛り込みました。物語冒頭、オリヴァーに対する教区吏バンブルの酷い仕打ちは、当時の救貧院の様子をリアルに描き出しています。19世紀後半になると、ディケンズや他の活動家たちの影響もあり、救貧院制度への批判が高まりました。劣悪な環境や不公正な扱いが問題視され、徐々に制度の見直しが進められていきました。

評価と影響

ディケンズは、ヴィクトリア朝時代の社会問題を直視し、作品のテーマに盛り込みました。本作の他『デイヴィッド・コパフィールド』などで、社会的な不公正に対する強い批判を込め、社会改革を訴えました。このため、彼の作品は単なるフィクションにとどまらず、当時の社会をリアルに描いた点も高く評価されています。

また、ディケンズは、登場人物を個性豊かに描くことでも評価されています。彼のキャラクターは、善悪を超えて複雑で人間味があり、多くの人が共感できるものでした。本作の主人公・オリヴァーはもちろん、『クリスマス・キャロル』のスクルージなどが代表的でしょう。貧困や逆境を乗り越えようとする主人公たちの姿は、困難な時代にあっても希望を忘れないというメッセージを読者に伝えました。

チャールズ・ディケンズによる口絵初版「オリバー・ツイスト」
パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.

ディケンズは、理想化された世界ではなく、ありのままの社会を描きました。このリアリズムの手法は、後の作家に影響を与え、現実の問題や人間の葛藤を描くスタイルが確立されていきました。

またディケンズの特徴として、新聞や雑誌に作品を連載したことがあげられます。物語の進行にともなって、読者からの反響を受け取り作品に反映させるという、新しい手法を生み出しました。この手法は幅広い層の読者に支持され、後世の作家や出版業界に大きな影響を与えました。しかし、「芸術のための芸術」を標榜する芸術至上主義的な当時の文壇は、「内容が通俗的だ」「(雑誌や新聞で連載した作品は)物語が進んでいくと話のつじつまが合わなくなる」などと批判しました。それでも、大衆におけるディケンズの人気は衰えることなく、現在でも、イギリスの国民的作家として位置付けられています。

悪人と善人

自身も貧しい家庭で育ち、若くして工場で働いた経験を持っていたディケンズ。本作には、リアリティとともに、登場人物への理解や同情が作品全体を通して感じられます。

もがけばもがくほど悪の世界に飲み込まれてしまうオリヴァー。
計算高い窃盗団の頭フェイギン。根っからの悪党サイクスと、良心を持ちながら彼から離れられないナンシー。
オリヴァーに、救いの手を差し伸べる紳士ブラウンロー氏と、無償の愛を注いでくれるメイリー夫人とローズ。
様々な登場人物の思惑が交差する、手に汗握るストーリー展開。そして明らかになるオリヴァー出生の秘密。

今もなお大衆を惹きつけるイギリスの国民的作家ディケンズ、初期の傑作を堪能してください。

以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。

映像化作品

オリヴァー・ツイスト(1948年イギリス映画 監督:デイヴィッド・リーン)
名優アレック・ギネスがフェイギン役を演じたモノクロ作品。

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オリヴァー!(1968年イギリス・アメリカ合作映画 監督:キャロル・リード)
ミュージカルを映画化。第41回アカデミー賞において、作品賞・監督賞・編曲賞・録音賞・美術賞+(振付に対する)名誉賞の6部門を受賞。

Bitly

オリヴァー・ツイスト(2007年イギリス・BBC制作のテレビドラマ)

Bitly

参考文献

ディケンズについて、より詳しく知りたい方は、ディケンズ・フェロウシップ日本支部のHPを覗いてみてください。情報が満載です。

ディケンズ・フェロウシップ日本支部

ヴィクトリア時代ロンドン・ハックニー地区における衛生改革の展開 永島剛
OliverTwistがイギリス社会に与えたもの 中村さくら

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