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【作品背景】中国近代文学の道標「阿Q正伝」(魯迅)

中国文学

変革期の中国において、後の中国文学や思想運動に多大な影響を与えた「国民性批判小説」と位置づけられる中国近代文学の道標。

みなさん、こんにちは。めくろひょうです。

今回は、「阿Q正伝」(魯迅)の作品背景をご紹介します。

あらすじ

時代が清から中華民国へ変わろうとする辛亥革命の時期、中国のある小さな村に、その日暮らしの気ままな生活をしている阿Qという男がいた。彼は、家も金もなく、字も読めず容姿も不細工。村人たちにいつも馬鹿にされていたが、独自の思考法で、結果を都合よく解釈し、高いプライドを持っていた。革命の波が村に押し寄せて来た時、意味もわからず騒ぎに便乗した彼は、無実の罪で逮捕されてしまう。

作品の詳細は光文社古典新訳文庫のHPで

故郷/阿Q正伝 - 光文社古典新訳文庫
定職も学もない男が、革命の噂に憧れを抱いた顛末を描く「阿Q正伝」など代表作16篇。

周樹人

魯迅はペンネームで、本名は周樹人です。1881年、中国浙江省・紹興で生まれました。紹興酒発祥の地です。官僚を輩出した家系で、幼い頃から学問に親しんで育ちましたが、祖父の死をきっかけに、家は没落していきました。家計は次第に傾き、若き日の魯迅は、早くも社会の不平等や人間の醜さを体感することになります。

1898年、南京の水師学堂(海軍学校)に進学、そこで西洋の科学や近代思想に触れます。この頃から、彼は「国を救うには近代的な知識が必要だ」という強い信念を持つようになりました。

1902年には、清国政府の官費留学生として日本へ渡ります。医学を専攻しましたが、同時に西洋の文学や哲学にも関心を持ちました。1904年、仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)に入学します。そこである映像を目にし、衝撃を受けます。それは日露戦争中、スパイ嫌疑をかけられた清国人が処刑されている様子を、同胞の清国人たちが傍観者として見ている映像でした。身体の病を治すだけでは、精神の奴隷状態は変わらないと感じた魯迅は、医学の道を離れ、文学によって人々の心に働きかける決意をします。

その後、東京に移り清国人を啓蒙するために出版事業を始めますが、失敗に終わり、1909年に帰国しました。

帰国後は、杭州で教師として過ごし、1912年、中華民国政府が成立すると、事務官の職位に就いて北京に移り、執筆活動を開始します。1918年、雑誌に掲載した短編小説『狂人日記』が大きな反響を呼びました。

そして1921年、魯迅唯一の中編小説『阿Q正伝』を発表。権威や伝統に盲従する人々の愚かさを鋭く批判しますが、政府から弾圧を受けるようになってしまいます。その後、上海に移り精力的に執筆活動を続けますが、1936年、喘息の発作によって亡くなりました。55歳でした。

葬儀委員に毛沢東も名を連ねる葬儀が行われ、上海の万国公墓に葬られましたが、中華人民共和国建国後の1956年、虹口公園(現在の魯迅公園)に改葬されました。

日本文学との関わり

魯迅が日本に留学していたのは、1902年からの約6年間(主に東京と仙台)です。この間、彼は医学の勉強をしていた一方で、膨大な読書を通じて、日本や西洋の文学・思想にも深く触れていました。夏目漱石や森鷗外といった日本の作家だけでなく、西洋の作家の作品にも触れました。それによって、文学において社会問題を扱う手法を身につけました。

晩年の左翼文化運動

1920年代後半以降、魯迅は明確に左翼文化運動へと傾斜していきます。

中国では第一次世界大戦後「五四運動」をきっかけに新しい文化や政治思想が広がりました。「五四運動」とは、第一次世界大戦後のパリ講和会議で、日本が中国に押し付けた「二十一カ条要求」や山東半島の権益をめぐる問題に対し、1919年5月4日に発生した、北京の学生を中心とした反日・反帝国主義のデモ運動です。しかし次第に組織内部の対立も激しくなり、魯迅は特に「権力志向に堕した国民党政府」や、表面的な西洋模倣だけに終わる知識人 に対して痛烈な批判を行います。

とはいえ、魯迅自身は中国共産党に直接参加することはありませんでした。むしろ一貫して、「いかなる権力にも屈しない」「独立した批判者であり続ける」立場を貫きました。

『阿Q正伝』にこめた想い

魯迅は若い左翼作家たちを積極的に支援し、彼らに向けて次のような姿勢を示しました。

抑圧に負けない、自由で独立した精神を守ること
知識人が民衆から乖離することなく、民衆のために書くこと
文学を権力に媚びない武器として使うこと

そんな魯迅は、愚民の典型である阿Qを主人公に据え、彼を、権威には無抵抗な一方で、自分より弱い者はいじめの対象とし、現実の惨めさを口先で誤魔化す、卑屈で滑稽な人物像として描き出しました。そして、人民の無知と無自覚を痛烈に批判したのです。

ちなみに「阿Q」の「阿」は接頭辞で親しみの表現であり「○○ちゃん」といった意味になるそうです。つまり『阿Q正伝』は「Qちゃんの伝記」!

「精神的勝利」という形だけの自己満足では、決して現実は変わらない。「自らを直視せよ」「思考せよ」「変革せよ」という、中国国民に対する熱いメッセージ。そして未来への希望をこめた、魯迅の想いを感じてみてください。

以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。

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