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【作品背景】堕ちていく。これは喜劇だ。「桜の園」(チェーホフ)

ロシア文学

みなさん、こんにちは。
農奴解放令によって、旧いロシアから新しいロシアへ。激動の変革期の中、時代の流れに取り残されたとある貴族が没落していく。
今回は、近代演劇に多大な影響を及ぼした「桜の園」(アントン・チェーホフ)の作品背景をご紹介します。

あらすじ

没落した貴族のラネーフスカヤは、長く離れていた故郷の屋敷へ戻ってくる。しかし、一家は多額の借金を抱えていて、屋敷と、美しい「桜の園」は、競売にかけられることになっていた。新興商人ロパーヒンは、桜の木を伐って、土地を別荘地として開発する案を提案するが、ラネーフスカヤは思い出の詰まった「桜の園」を手放す決断ができない。やがて競売の日を迎えるが…。

作品の詳細は新潮社のHPで。

『桜の園・三人姉妹』 チェーホフ、神西清/訳 | 新潮社
急変してゆく現実を理解せず華やかな昔の夢におぼれたため、先祖代々の土地を手放さざるを得なくなった、夕映えのごとく消えゆく貴族階級の哀愁を描いて、演劇における新生面の頂点を示す「桜の園」、単調な田舎の生活の中でモスクワに行

アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ

1860年、ロシア帝国南部の港町タガンログで生まれました。小さな店を営んでいた厳格な父のもとで、規律を重んじる生活を送りながら、少年時代には文学や演劇にも親しみました。

1879年、19歳でモスクワへ移り、モスクワ大学医学部に入学します。生活費を稼ぐため、学生時代から雑誌にユーモア短編を発表し、原稿料を得ていました。1884年に医師の資格を取得、診療をしながら、執筆活動も続けました。人間の滑稽さや社会の矛盾を描いた短編によって、次第に評価を高めていきます。1887年に発表した戯曲『イワーノフ』は好評を博し、文学者としての地位を確立していきました。

当時のロシアにおいては、ドストエフスキーやトルストイに代表される長編作品こそが小説であるという考え方が主流であり、そのような状況の中で質の高い短編小説を数多く発表し続けたチェーホフは貴重な存在でした。

チェーホフの人生における大きな転機となったのが、1890年のサハリン島への旅行です。サハリン旅行は、単なる観光ではありませんでした。当時のサハリン島はロシア帝国の流刑地で、チェーホフは囚人や住民の生活を詳しく調査します。そこで彼が目にしたのは、貧困や暴力、過酷な環境の中で生きる人々の姿でした。この経験は、医師として人間を観察してきた彼の、社会を見る目をさらに深めることになります。

モスクワに戻ったチェーホフは、調査結果を旅行記『サハリン島』としてまとめました。社会の片隅で苦しむ人々の現実を知ったことで、チェーホフは人間を単純に善悪で判断するのではなく、それぞれの境遇や心の葛藤を見つめる作家へと成長していきます。この視線は、『桜の園』にも活かされています。

1892年には、モスクワ郊外の土地を購入して移り住み、住民の診療・治療をしながら、『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』など、現在も読み継がれる戯曲を、次々と発表します。そしてチェーホフの劇作家としての運命を大きく変えたのが、モスクワ芸術座との出会いでした。

サンクトペテルブルクでの初演が失敗に終わった『かもめ』ですが、1898年、モスクワ芸術座で上演されると、成功を収めます。モスクワ芸術座は、自然な演技や日常生活に近いリアルな舞台表現を重視した劇場で、チェーホフの作品と非常に相性が良いものでした。その後、『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』なども同劇場で上演され、チェーホフは世界的な劇作家として知られるようになります。

チェーホフの戯曲には、従来の演劇のような派手な事件が少ないことが特徴です。登場人物たちは何気ない会話を交わしながら、過去を振り返り、未来を夢見たりします。しかし、その言葉の裏側には、人生への後悔や希望、時代の変化への戸惑いが隠されています。こうした「日常の中にあるドラマ」は、近代演劇に大きな影響を与えました。

1901年、モスクワ芸術座に所属し、チェーホフの作品の主要人物を演じた女優オリガ・クニッペルと結婚します。しかし、若い頃から患っていた結核は次第に悪化していきました。療養生活を送りながらも執筆を続け、1903年に最後の戯曲『桜の園』を書き上げます。

『桜の園』は、1904年にモスクワ芸術座で初演されました。妻・オリガがヒロイン・ラネーフスカヤを演じたこの作品は、チェーホフ最後の作品になりました。同年7月、療養のため滞在していたドイツのバーデンワイラーで亡くなりました。44歳でした。

サハリン島への旅行

サハリン島は当時、ロシア帝国の流刑・囚人労働の地でした。1890年、30歳になったチェーホフは、シベリアを横断してこの遠隔地へ向かいます。鉄道だけではなく、馬車や船を乗り継ぐ長く過酷な旅でした。そして現地に8か月ほど滞在し、囚人や入植者たちから話を聞き、人口調査まで行いました。数千人の人々を対象としたこの調査は、作家としては異例ともいえる徹底したものでした。

そこでチェーホフが目にしたのは、貧困、暴力、劣悪な環境の中で生きる人々の姿でした。彼は帰国後、その経験を『サハリン島』という旅行記にまとめます。

この旅は、チェーホフの文学に大きな転換をもたらしました。サハリン島旅行以前よりも、人間の苦しみや社会の矛盾を深く考えるようになり、作品にも社会的・哲学的な視点が強く現れるようになったのです。研究者も、サハリン島旅行をチェーホフの創作上の重要な転換点と位置づけています。

「社会を外側から眺めるのではなく、そこに生きる一人ひとりの現実を見る」という視点は、後の作品に活かされます。チェーホフ「四大戯曲」と言われる『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』そして『桜の園』は、いずれもサハリン島旅行後に発表された作品です。

『桜の園』でも、貴族だけを悪者にしたり、資本家を単純に正義の側に置いたりすることはありません。没落する貴族にも、土地を買い取る資本家にも、それぞれの事情と感情があります。こうした複雑な人間理解の背景には、医師であり、そしてサハリン島で暮らす人々の生活を直接見たという経験があったと考えることができます。

モスクワ芸術座

モスクワ芸術座は、1898年、ロシア演劇を代表するふたりの演出家、コンスタンチン・スタニスラフスキーとウラジーミル・ネミロヴィチ=ダンチェンコによって設立されました。当時の演劇に見られた大げさな演技やスター中心の舞台から離れ、日常生活に近い自然な演技、登場人物の心理、写実的な舞台づくりを重視した劇場です。

この劇場とチェーホフの出会いは、双方にとって大きな意味を持ちました。

『かもめ』は、1896年のサンクトペテルブルクでの初演では失敗しましたが、1898年にモスクワ芸術座で上演されると大成功を収めます。この成功によって、モスクワ芸術座は一躍有名になり、チェーホフも劇作家として高く評価されるようになりました。

その後『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』と、チェーホフの代表的な戯曲が次々とモスクワ芸術座で上演されます。

チェーホフは、劇的な事件を次々と起こす従来型の演劇とは異なり、「何も起こっていないように見える日常」の中に、人間の人生や社会の変化を描きました。登場人物たちの何気ない会話の裏側には、それぞれの人生や欲望、後悔、希望が隠されています。こうした手法は、後の近代演劇に大きな影響を与えました。

チェーホフは『桜の園』を「喜劇」と考えていました。しかしスタニスラフスキーは、作品の中に強い悲劇性を感じ「悲劇」として演出しました。作者と演出家の作品理解に、大きな違いがあったのです。この違いは、『桜の園』という作品の魅力を考えるうえでも重要です。

先祖代々受け継がれてきた土地を失うという出来事は悲しい。しかし、登場人物たちは滑稽でもあります。深刻な場面の中にも笑いがあり、笑っているうちに、いつの間にか胸を締めつけられる。「悲劇」と「喜劇」を明確に分けない、むしろ溶け合っているとも表現できるこの独特な作風が、チェーホフ演劇の、大きな特徴になりました。

農奴解放令

「かつての貴族階級が経済的に没落し、新興資本家が台頭していく」姿を描いた『桜の園』。その背景にあるのは、農奴解放令による社会の変革です。農奴解放令は、ロシア帝国の皇帝アレクサンドル2世が、1861年に発布しました。

農奴とは

農奴とは、土地に縛りつけられて暮らしていた農民です。19世紀のロシアでは、貴族などの地主が広大な土地を所有し、その土地で農民を働かせていました。農奴は地主の土地から自由に離れることが難しく、労働や納税などの義務を負っていました。

農奴解放令

クリミア戦争(1853~1856年)でロシアが敗北すると、ヨーロッパ諸国と比較し、軍事・経済・社会制度の遅れが明らかになりました。改革の必要性を感じたアレクサンドル2世は、1861年に農奴解放令を発布します。これによって、およそ2,000万人以上の農奴が法的には自由な身分となりました。

農民への影響

解放令によって農民は自由な身分になりましたが、生活に必要な土地を手に入れるためには、「贖い金(あがないきん)」と呼ばれる代金を長期間にわたって支払う必要があり、農民の生活は依然として苦しいものでした。「身分としては自由になったが、経済的には貧しいままだった」という農民も少なくありませんでした。

貴族への影響

貴族は、広大な土地と農奴を所有することで経済的・社会的な力を維持していました。しかし農奴が自由になると、従来の土地経営の仕組みが崩れていきます。経済的にうまく適応できなかった貴族の中には、土地を売却したり、財産を失ったりする者も現れました。

農奴解放令と『桜の園』

『桜の園』のラネーフスカヤやガーエフは、旧貴族階級を象徴する人物です。一方、ロパーヒンは元農奴だった家系の出身です。ロパーヒンの祖父や父の世代は、ラネーフスカヤ家の土地で働いていました。しかし時代が変わり、農奴解放によって身分制度が崩れると、ロパーヒンのように経済力を持つ新たな階層が生まれます。

かつて農奴だった家系のロパーヒンが、没落した貴族の桜の園を買い取る。これは単なる土地の売買ではありません。かつて支配されていた側の人間が、かつて支配していた側の土地を手に入れるのです。

農奴制 → 農奴解放令 → 貴族階級の没落 → 新しい資本家階級の台頭

なぜ、あれほどまでに、ロパーヒンが桜の園の購入にこだわるのかが、理解できると思います。

これは喜劇だ

農奴解放令によって大きく変わっていくロシア社会。

そうした世の中の動きを理解することができず、収入が減っても従来通りの贅沢な生活を続け、過去の思い出に浸りながら、借金を積み重ねていく、ラネーフスカヤ。

元農奴の家系ながら、社会の変革を機に才覚を発揮し、財を成していく新興商人のロパーヒン。

時代とともに変わっていく社会を理解できず、対応することも出来ないまま、没落していく貴族の姿は、明らかに悲劇なのですが、チェーホフは「これは喜劇だ」と主張します。

作中随所に道化役が登場し、とぼけた台詞廻しが笑いを誘いますが、そうした些末なことではなく、時代の流れに取り残され、無邪気な貴族が堕ちていく姿こそ滑稽であり、それを指して喜劇といったのかも知れません。

響き渡る斧の音。みなさんにとってこの物語は喜劇ですか?

以上、「桜の園」の作品背景紹介でした。ごきげんよう。

戯曲の読み方

戯曲を読み慣れていない方に簡単なアドバイスを。

戯曲は舞台で上演されることを前提に書かれています。ですから、みなさんの頭の中に舞台を作っちゃってください。
戯曲には、登場人物が話す「台詞」と、登場人物の動きや舞台装置等の指示である「ト書き」があります。
先ほど頭の中に設置した舞台に、「ト書き」で指示された事項を加え、登場人物を配置します。これで文字通り舞台が整いました。
あとは登場人物に「台詞」を喋らせればOKです。

https://o-dan.net/ja/

(頭の中で)お気に入りの役者さんに演じてもらえば、世界で唯一のみなさんオリジナル作品が上演されますよ。

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