従妹同士のアリサとジェローム。ふたりが思い描く「愛」は、少しづつ、しかし確実に、違うものになっていく。
みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、ノーベル文学賞受賞者アンドレ・ジッドによる小説「狭き門」の作品背景を紹介します。
あらすじ
従妹同士のアリサとジェローム。誰もが認める両想いの二人だったが、思わぬ横恋慕に立ち止まるふたり。そして、遠距離恋愛の中で、それぞれが思い描く「愛」は、少しづつ、しかし確実に、違うものになっていく。果たしてふたりは結ばれるのか。
作品の詳細は新潮社のHPで。
注)私はキリスト教ならびに聖書に関する造詣が深くありませんので、解釈等で間違っている部分があるかもしれません。ご了承ください。
力を尽くして狭き門より入れ
作品のタイトルになっている「狭き門」は、新約聖書ルカ伝13章24節に書かれている
「力を尽くして狭き門より入れ。われ汝らに継ぐ、入らんことを求めて入り能はぬ者おほからん(力を尽くして狭い門から入りなさい。ですが、入ろうとしても入れない人が多いのです。)」
から採られています。
また、マタイ伝7章13節に書かれている
「狭き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし。命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者すくなし(狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広い。なので、そこから入って行く者が多いのです。命(=幸福?)に至る門は狭く、その道は細い。なので、それを見つける者は少ないのです。)」
も、この作品の主要なテーマです。
アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッド
1869年、パリで生まれたジッドは、生来身体が弱く、学校生活は不規則だったようです。
法学者だった父親を少年期に亡くした後、母親から厳しいプロテスタント教育を施されたこともあり、信仰に対する考えは、ジッドにとって生涯のテーマになっていきます。
大学には進学せず、文学に専念し、多くの作品を発表します。
20代半ば頃から頻繁に北アフリカを訪れ、オスカー・ワイルドと交流したり、同性愛に目覚めたりと、その後の作品に影響を及ぼす体験をしました。
そして40歳を迎えたジッドが発表した作品が「狭き門」です。
白い結婚
ジッド本人がモデルであるジェロームをはじめ、「狭き門」に登場する人物たちは、いずれも実際にジッドの周辺にいた人たちがモデルになっています。
ヒロイン・アリサのモデルは従妹である妻マドレーヌで、波乱万丈の結婚生活ではありましたが、マドレーヌが亡くなるまで添い遂げます。
波乱万丈の結婚生活とお話ししましたが、ジッドは、最愛の妻マドレーヌと性交渉を持たず、ふたりの関係は「白い結婚(mariage blanc)」と呼ばれました。
一方で、後に映画監督として名をはせるマルク・アレグレと同性愛関係にあったり、また、愛人との間に子供をもうけたりもしています。
ジッドは愛人に宛てて
「私はただ一人の女性(妻マドレーヌ)しか真に愛すことがないだろうし、若い男(マルク・アレグレ)にしか真の欲望をもてない。しかし君に子供がいないのを見るのは忍び難く、また、私自身に子供がいないのも耐え難い」
と書き送っています。
アンガージュマン
アンガージュマン(engagement)とは、知識人や芸術家が現実の問題に取り組み、社会運動などに参加することを言います。
作家としての名声を確固たるものとしたジッドは、現実世界の問題に取り組み、社会運動などに参加するようになります。
当時フランス領であったコンゴ(現コンゴ共和国)を訪れ、アフリカ植民地政策に対し問題を投げ掛けます。コンゴ訪問時の様子は「コンゴ紀行」という作品にまとめられています。
また、共産主義思想に傾倒しソ連を訪れます。しかしその実態を目の当たりにして、スターリン体制を批判するようになります。ソ連訪問時の様子は「ソヴィエト旅行記」という作品にまとめられています。
第二次世界大戦中は、一貫して反ナチス・反ファシズムの立場を取り続けました。
神への愛・ジェロームへの愛
現実世界における幸福と信仰世界における幸福との間で苦悩するアリサ。彼女の揺れる心に翻弄されるジェロームの純粋な愛情。
遠距離恋愛になってしまったことがすれ違いの原因では?と低レベルな感想を持ったりしますが、若いふたりのピュアな愛情と信仰に揺れる心を、胸が締め付けられるような文章で感じてみてください。
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
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