わがボヴァリー夫人は、いまこの瞬間においても、フランス中の無数の村で悩みかつ泣いているだろう。
みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「ボヴァリー夫人」(フローベール)の作品背景をご紹介します。
あらすじ
妻に先立たれた医者シャルルは、往診した農家の一人娘エンマに惹かれ、再婚する。
小説世界のロマンティックな人生に憧れていたエンマにとって、平凡な家庭の平凡な生活は、夢見ていた幸福だとは思えなかった。たとえそれが不倫であったとしても、恋をしていることに幸福を感じ、たとえ借金をして買った物であっても、高価な物に囲まれた生活に幸福を感じるエンマ。恋に破れ、資産を差し押さえられたとき、エンマがとった行動は。
ギュスターヴ・フローベール
1821年、フランス・ノルマンディー地方ルーアンで生まれました。父はルーアン市立病院の医師で、人の死や病気を身近なものとして感じながら育ちました。
幼い頃より創作をおこない、中学に入学後は、ヴィクトル・ユーゴー、アレクサンドル・デュマ、シェイクスピア、ゲーテといった作家の作品を読みふけり、作家を夢見て物語を作ることに熱中しました。
1841年、パリ大学に入学。父の勧めで法律を専攻しますが、自分には合わないと感じていたようです。
在学中、癲癇の発作を起こして倒れます。心配した父親は、ルーアン近郊のクロワッセに別荘を建てて、息子に療養するよう勧めます。病に倒れたことがきっかけになり、興味のない学問を離れ、執筆活動に専念することができるようになりました。
1846年、父親、妹を相次いで亡くしました。妹の遺児を引き取り、父の遺産を頼りに母、姪と3人での生活が始まります。この頃、パリで女流作家ルイーズ・コレと出会います。すでに様々な芸術家と浮名を流していた歳上の女性に魅了され、ふたりの関係は、以後十数年にわたって続いていきます。ふたりが送りあった手紙が多数残っていて、お互いの作品にアドバイスを与え合うなど、切磋琢磨する間柄でもあったようです。
1856年、「ボヴァリー夫人」を雑誌に連載。その内容が「風紀を乱す」という点で問題視され、告訴されてしまいますが、後に無罪。裁判沙汰になったことが宣伝効果を生み、出版されるとベストセラーに。フローベールは作家としての地位を確立しました。
古代カルタゴを舞台にした「サランボー」、自らの青春時代をモデルにした自伝的な作品「感情教育」など意欲作を発表しますが、その後、手掛けた戯曲の興行的失敗や財産管理のトラブルに巻き込まれ、経済的に苦しくなってしまいます。
作家仲間の尽力によって、公的年金の権利や図書館員の職を得るなどして、何とかこの苦境を乗り切ります。
晩年は、ヘンリー・ジェイムスなどの若い世代の作家とも積極的に交流し、特にモーパッサンを高く評価していました。
1880年、クロワッセの自宅で死去。遺体はルーアンの墓地に葬られました。生涯独身でした。
ボヴァリー夫人は私だ
ロマン主義文学に傾倒していたフローベールは、自作「聖アントワーヌの誘惑」を友人の前で朗読しましたが、大げさな表現などにダメ出しされ、作品の方向転換を模索するようになります。
「実際に起きたスキャンダルな事件(医師ドラマールと彼の後妻による不倫事件)を題材に、人間の姿をリアルに描いてはどうか?」という友人からのドバイスをもとに、リアルな生活をありのままに描く手法(写実主義)で「ボヴァリー夫人」の執筆に着手します。
実に4年を超える時間をかけ、1856年、雑誌「パリ評論」への連載を開始。その内容が問題視され「公衆の道徳および宗教に対する侮辱」罪として1857年1月に告訴されてしまいます。(翌2月に無罪)
裁判になったことによって、人々の注目を集め、本として出版されると、瞬く間にベストセラーに。
フローベールはこの作品によって、作家としての地位を確立しました。
詩人ボードレールは「著者は男性的な資質でエンマという女性を飾ったのだ」と、エンマに作者フローベール自身の姿が投影されていると評しました。
エンマのモデルは誰だ?と問われた際にフローベールは「ボヴァリー夫人は私だ」と答えたそうです。理想と現実とのギャップに、フローベール自身も悩んでいたということでしょうか。
リアリズムの父
フローベールは「リアリズム(写実主義)の父」と呼ばれます。写実主義とは、現実の姿を美化したりせずに、ありのまま描写する客観的視点を重視する考え方です。冷静な観察と分析によって現実社会を克明に描き出します。
そもそもロマン主義(感情や想像力を自由に表現する主観的視点を重視する考え方)的な傾向のあったフローベールですが、「ボヴァリー夫人」の成功によって、写実主義の中心人物と位置づけられるようになりました。「ボヴァリー夫人」の執筆には4年を超える時間が費やされています。フローベールは推敲に推敲を重ね、徹底的に文章を磨き上げていきました。(残念ながら、私はフランス語が読めないので、原典でその凄さを味わうことができないのですが。)
精密な客観的描写の手法は、ゾラやモーパッサンに引き継がれ、写実主義から自然主義という流れを生み出しました。また、作者視点ではなく登場人物視点を重視する手法は、ジョイス、カフカ、プルーストたちに影響を与え、フローベールは現代文学の先駆者という評価も得るようになります。
サマセット・モームによる「世界の十大小説」にも選出されています。
自然主義作家モーパッサンの代表作「女の一生」の作品背景はこちら
恋に恋する女の末路
この作品には「地方風俗」という副題がつけられています。「わがボヴァリー夫人は、いまこの瞬間においても、フランス中の無数の村で悩みかつ泣いているだろう」とフローベール自身が言っているように、当時、エンマのような境遇にある女性が数多く存在したようです。フローベールは、そのような女性を主人公に据え、とある地方都市を舞台に、人々の日常を冷酷なまでに淡々と描写しました。結果、この作品は、写実主義の傑作と位置付けられるようになりました。
凡庸ではあるが誠実で、エンマを大切に想う夫シャルル。女性の扱いに慣れていて、エンマの恋心を手玉に取る貴族ロドルフ。年上の女性に対する憧れをエンマにぶつけてくる青年レオン。エンマの無知につけ込み金銭を用立てる商人ルウルー。恋に恋する女エンマを取り巻く人々と、時代が生んだといえる俗物の薬剤師オメーが織りなす、生々しい人間模様を堪能してください。
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
映画化作品
参考文献
「ものぐさ村」のオメーに関する考察 金山富美
フロベールの足跡をたどるノルマンディー散策の旅へ出てみませんか?
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