明朗に生きいきとした、幸福な、愛すべき平凡な人たちに捧げられる愛情。
みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「トニオ・クレーゲル」(トーマス・マン)の作品背景をご紹介します。
あらすじ
ドイツ北部リューベックの裕福な家庭に育ったトニオ・クレーゲル。多感な少年時代を過ごしたあと、名の知られた作家となる。一般市民に対する侮蔑的な感情を持ちながら、彼らの平凡な幸福に対する憧れも捨てきれない。矛盾した気持ちを持ちながらトニオが導き出した結論とは。
作品の詳細は新潮社のHPで。
パウル・トーマス・マン
トーマス・マンは、ドイツ北部リューベックの裕福な商人の家に生まれました。父方は、先祖代々地元の名士であった家系でした。恵まれた環境の中で高等教育を受けますが、学業の成績はパッとしなかったようです。(のちに作家となった兄ハインリヒは学業優秀でした)
16歳のとき父が亡くなります。父は子供たちに経営のセンスがないことを見抜いていたのか、家業を継がせるつもりはなかったようで、会社は整理され、一家はミュンヘンに移ります。
会社員として働きながら作品を執筆していたマンですが、短編小説が文芸雑誌に掲載されたのを機に、会社を辞めて作家活動に専念します。
その後、マン家の歴史を題材にした長編小説「ブッデンブローク家の人々」を発表します。この作品はドイツ国内だけではなく、数か国語に翻訳され、ベストセラーとなりました。
(マンは、のちにノーベル文学賞を受賞しますが、この「ブッデンブローク家の人々」が受賞理由として挙げられています。)
その後「トニオ・クレーゲル」が発表されます。
つまり「トニオ・クレーゲル」は一流作家の仲間入りを果たしたマンの、偽らざる当時の心境「自分は文学者としてどうあるべきか」を投影させた作品といえます。
世界大戦と政治活動
マンは、ふたつの世界大戦を経験します。
第一次大戦中は母国ドイツを擁護し、戦後発足したヴァイマル共和政を支持しました。
その後、ナチスが勢力を拡大すると、一貫して反ナチスの立場を取り続けました。そのため、ヒトラー政権にドイツ国籍を剥奪され財産も没収されてしまいました。
スイスやアメリカで亡命生活を送ったマンは、自分と同じような亡命者の支援をしたり、公共放送を通じてドイツ国民を励ましたりといった活動を続けました。
トニオと杜夫
マンから影響を受けた日本人作家の代表格は北杜夫でしょう。「ドクトルまんぼう」でおなじみの北杜夫は、そのペンネームを、心酔する「トニオ・クレーゲル」からとりました。
大学時代を過ごした東「北」の仙台(=杜の都)、杜仁夫(=トニオ)、を組み合わせて、北杜夫。
また、医師でありながら、政治家・歌人・エッセイストなど、多方面で活躍する人物を輩出した自らの家系を題材に、「ブッデンブローク家の人々」ならぬ「楡家の人びと」を遺しました。
上から目線?
当時(19世紀後半)フランス・イギリスで広がっていた耽美主義(美こそ最高の価値を持つものであり現実社会に基づく芸術を一段下に見る態度)に疑問を感じるトニオですが、作中でこのような手紙を書き送っています。
私の一番深い、もっともひそやかな愛情は、金髪で碧眼の、明朗に生きいきとした、幸福な、愛すべき平凡な人たちに捧げられているのです。
トニオ・クレーゲル 新潮文庫 高橋義孝 訳
読み方によっては、「私は芸術家であるにもかかわらず、平凡な人たち(一般市民)を愛しています。」と、かなり上からの目線を感じます。
20代の時にこの作品を書き上げたマン。やがて言葉でヒトラーに立ち向かっていくことになります。
彼の若かりし日々の苦悩を、みなさんも感じてみてください。
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
20年に及ぶ亡命生活の中で綴られた日記から、マンがいかにしてナチス・ドイツと戦ったかを読み解く作品です。
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