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みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「車輪の下」(ヘッセ)の作品背景をご紹介します。
あらすじ
ドイツの小さな街。秀才の呼び声高い少年ハンスは、周囲の期待を背負って猛勉強。超難関の試験を突破し、神学校に合格。しかし学校での生活は厳しい規則でがんじがらめ。自然を愛し、釣りが大好きなハンスの心は徐々に蝕まれていく。
ノーベル文学賞受賞作家ヘッセの自伝的小説。
作品の詳細は、新潮社のHPで。
ヘルマン・カール・ヘッセ
(Hermann Karl Hesse, 1877年7月2日 – 1962年8月9日)
1877年、ドイツ南部ヴュルテンベルク王国のカルフに生まれました。
スイス・バーゼルの宣教師であった父の影響で、幼いころはスイスで過ごします。そのころから詩作をしていたそうです。
難関とされるヴュルテンベルク州立学校の試験に合格し、14歳のときに神学校に入学します。しかし、学校生活が合わず、退学。自殺未遂を起こし神経科病院に入院したことも。
退院後に、ギムナジウム(中等教育機関。日本の中学~高校に相当する。)に入学しますが、そこも退学。この少年時代の経験が「車輪の下」のベースになっています。
その後、職を転々としながら執筆活動を続けます。結婚を経て1912年からはスイスに移住しました。
第一次大戦中にドイツ人捕虜を援護する事務所で働いたヘッセは、精神的に傷つき、その後の作品には大きな変化がみられるようになりました。素朴な作風から、文明への批判や精神的な問題を扱うようになったのです。
「デミアン」はその転換点を示す作品で、ドイツを代表する作家の地位を得ることになりました。
ヘッセは平和主義を唱えていたため、ナチス政権下では裏切者とされ、ドイツ国内での出版許可を得られませんでした。
1946年、「ガラス玉演戯」などの作品が評価されノーベル文学賞を受賞します。1962年、長年住んだスイスの小さな村モンタニョーラで亡くなりました。85歳でした。
マウルブロン修道院
ハンスが通ったマウルブロン修道院併設神学校は、作者のヘッセ自身が通っていた学校でもあります。
その名の通り聖職者育成のための学校であり、同じく中等教育機関でありながら、大学進学を前提にしたギムナジウムとは別系統の教育機関です。
聖書はもちろん、ラテン語・ヘブライ語・ギリシャ語などの語学や、歴史や地理といった授業がおこなわれました。
また寄宿制であり、生徒たちは生活面すべてにおいて、厳しい管理下に置かれていました。優秀な頭脳を持ちながらも、この教育システムに馴染めず脱落していった生徒も多かったようです。
ヘッセは自身の姿をハンスに重ねながら、教育の在り方について疑問を投げかけたのでしょう。
バーデン=ヴュルテンベルク州に現存するマウルブロン修道院の建築物は、1993年にユネスコの世界遺産に登録されました。
また神学校は古典語ギムナジウムとして現在も運営されています。
興味のある方はこちらのHPを。(ドイツ語です)
りんご搾り
物語が佳境に入る終盤に、街中でのりんご搾りのシーンがあります。りんご搾りに精を出し、新鮮な果汁ジュースを楽しむ人々の姿が、克明に、そして生き生きと描かれています。
りんごはドイツで1番人気のある果物らしく、作品の舞台であるバーデン=ヴュルテンベルク州は、ドイツ国内トップクラスの生産量を誇る地域だそうです。
参考HP
物語中盤、主人公ハンスそして私たち読者も気持ちが沈んでしまう重苦しい展開に、一服の清涼感を与えてくれる素敵なシーンです。
車輪
周囲の期待に応えようとする秀才。天狗になってしまう時もあるけれど、本来は自然を愛する心優しき少年ハンス。
ハンスとは正反対に、束縛に反抗し詩を愛する自由人ハイルナー。
異なる個性がふたりを結びつけます。このふたりは、どちらも著者ヘッセの分身なのです。
才能にあふれた若者を押しつぶそうする車輪。
みなさん、誰かの車輪になっていませんか?
オーディオブックで楽しむこともできます。
ヘルマン・ヘッセ財団のHPには詳細な情報が満載です。興味のある方は是非。
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
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