「パリよ。さあ今度はおれとお前の勝負だ!」上流階級に憧れ、社交界に足を踏み入れる学生ラスティニャック。
みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、フランス写実主義文学の傑作「ゴリオ爺さん」の作品背景をご紹介します。
あらすじ
パリの下宿屋ヴォケール館に住む学生ラスティニャック。同じ下宿人である老人ゴリオと知り合う。今は落ちぶれてしまったが、現役時代に商売で財を成したゴリオは、娘を上流階級に嫁がせたという。上流階級に憧れを抱くようになったラスティニャックは、つましい生活を放り出し、社交界に呑み込まれていく。
作品の詳細は、光文社古典新訳文庫のHPを。紹介文が読書欲をそそります。
オノレ・ド・バルザック
1799年、フランス中部・トゥールで生まれました。裕福なブルジョワ家庭で育ちますが、母親には愛されませんでした。幼くして寄宿学校に入れられ、孤独な少年期を過ごします。1814年、家族とともにパリに移住し、大学では法律を学びましたが、法律家にはならず、作家の道を選びました。しかし10年近く鳴かず飛ばずの状態でした。その間、印刷所を経営しますが失敗し、多額の借金を背負ってしまいます。
1829年、フランス革命期を舞台にした恋愛小説『ふくろう党』によって、ようやく作家として認められるようになります。その後、ライフワークとなる「人間喜劇」を構想し、執筆活動の中心テーマに据えます。1835年に発表された『ゴリオ爺さん』は、「人間喜劇」の基盤を形成する作品であり、これによって写実主義文学の巨匠として、地位を確立しました。
しかし、バルザックは頻繁に社交界に出入りするなど贅沢な生活を好み、また投機的な事業に失敗するなどして、常に経済的に苦しい生活を送りました。そのため、休む間もなく執筆を続け、膨大な作品群を生み出しましたが、この過労が健康を蝕んでしまいます。多くの女性と浮名を流しますが、1847年、ポーランド貴族の未亡人エヴェリーナ・ハンスカ夫人と結婚します。そのわずか3年後の1850年、執筆による過労と暴飲暴食が原因となり、51歳の若さでこの世を去りました。
ちなみにバルザックが残した多額の借金は、夫人の巨額の財産によって返済されました。
人間喜劇
バルザックは、執筆した作品群を「人間喜劇」としてまとめあげようとしました。「人間喜劇」とは、バルザックが1830年代頃から構想していた作品群の総称です。バルザックは、「人間喜劇」を通じて、19世紀フランス社会の全体像を描くことを目指しました。貴族・ブルジョワジー・労働者・農民など、それぞれの階級が持つ特有の価値観や問題を、情熱、欲望、愛憎、成功、挫折などの側面から浮き彫りにしました。
バルザックは、作品を「風俗研究」、「哲学的研究」、「分析的研究」に分けて体系化します。また「作品Aの脇役が作品Bの主人公になる」といった具合に、ある作品の登場人物を他の作品に再度登場させる「人物再登場法」という手法を用いて、それぞれの作品を相互に関係づけました。
しかしバルザックが死去したことで「人間喜劇」は未完に終わってしまいます。約140作品ほどで構成されていましたが、完成したのは約90作品でした。
ナポレオン失脚後の王政復古の時代
作品の舞台となった時代は、王政復古の時代と呼ばれています。ナポレオンが失脚し、ルイ18世が王位に就くことによって王政が復活します。1814年憲章が制定され、これによって、富裕層による支配体制が明確になりました。富裕層(高額納税者)にしか選挙権を認めなかったのです。
権利を回復した貴族階級、産業の発達とともに力をつけた新興ブルジョア階級。この作品の主人公ラスティニャックは、上流階級にのし上がろうとする野心を抱いて大都市パリにやってくるのです。
社会的地位を手に入れるための手段としての結婚。そのために惜しみなく金を使う親。そうして手に入れた上流階級の幸福とは呼べない生活。バルザックは、このような社会に振り回される人たちの姿を、冷静に見つめて描き出しているのです。
作品内に登場するパリの3地区は、貴族階級・ブルジョア階級・一般庶民がそれぞれ住んでいた典型的な地区です。その様子は、バルザックの詳細な記述で感じ取れます。
後世に与えた影響
『ゴリオ爺さん』は、その後の文学界に多大な影響を与えました。特に次の3つの要素が強いインスピレーションを与えたとされています。
写実主義文学
社会や人間をありのままに描写することを目指したものです。この手法は、理想化や感情過多を特徴としたロマン主義に対抗する形で誕生しました。現実の生活、社会問題、個人の心理や行動に焦点を当て、科学的な観察や客観的な描写を通じて「真実」を探求します。
・客観的な描写
作家自身の感情や主観を排し、ストーリー、登場人物の行動や思考を冷静かつ詳細に描写します。
・日常生活の描写
平凡な人々や日常生活の一コマが重要なテーマになります。英雄的な行動や理想化された愛ではなく、労働、家族、貧困、階級闘争など、現実の問題に光を当てます。
・社会背景の反映
当時の政治動向、経済状況、階級格差などの社会問題が詳細に描かれ、物語の背景として重要な役割を果たします。
・因果関係への関心
人間の行動や人生が、性格や環境、社会的条件によってどのように形成されるかを追求します。これにより、登場人物は単なる「物語の役割」ではなく、生きた人間として描かれます。
バルザックが追求したこの手法は、写実主義文学の基礎を築きました。フローベール、ディケンズ、トルストイ、ドストエフスキーといった後世の作家たちは多大な影響を受け、社会的背景を重視しつつ、人間の複雑な内面を描写する作品を生み出しました。
多面的な登場人物像
登場人物が単なる善悪の二元論に収まらないことも『ゴリオ爺さん』の革新性でした。例えば、純粋に学問を修めようとしていた学生ラスティニャックに芽生える野心や、無償の愛を注ぎながら見返りに執着するゴリオ爺さんのように、複雑な感情を持つ人物像は、後世のキャラクター造形に影響を与えました。
またバルザックは「人物再登場法」を採り入れました。これは文字通り、著者の過去作品に登場した人物が、再度別の作品に登場するという手法です。現代でいえば、スピンオフ作品に近い感じでしょうか。その手法を初めて本格的に採用したのがバルザックといわれています。
前日談や後日談を楽しめるという意味では、ファンにとって喜ばしい仕掛けですが、バルザックの作品は登場人物が多く、逆に読者を混乱させてしまうことがあるともいわれています。シャーロック・ホームズでおなじみの作家コナン・ドイルは、「バルザックの作品は、どこから読み始めていいものやら解らない」といって読まなかったとか。
社会批判の視点
作品の舞台となっているヴォケール館は、階級格差や社会の不平等を凝縮した空間として象徴的な役割を果たしています。このような社会批判の視点は、20世紀の文学や社会学的視点を持つ作家たちに影響を及ぼしました。
フランソワ・ヴィドック
この作品に登場するヴォートランのモデルとなったフランソワ・ヴィドック。数奇な運命をたどり、後世に大きな影響を与えたこの人物を簡単に紹介しておきます。バルザックは実際に彼と会ったことがあるようです。
脱走兵として逮捕され、入獄中に裏社会の情報や犯罪の手口など知ることになります。その後、脱獄と入獄を繰り返しますが、出獄後は犯罪に手を染めることなく、パリ警察の密偵になります。犯罪を知り尽くした彼は、数々の事件を解決し、国家警察パリ地区犯罪捜査局(パリ警視庁の前身)を創設し初代局長になります。
退職後は、世界初となる私立探偵事務所を設立し活躍の場を広げます。また自身の半生を記した「ヴィドック回想録」を執筆します。この著書はエドガー・アラン・ポーやコナン・ドイルなどに大きな影響を与えたと言われています。「レ・ミゼラブル」のジャン・ヴァルジャンも彼からヒントを得て創作されました。
All is true
『ゴリオ爺さん』の冒頭には “All is true” (すべて真実なのだ)と記述されています。リアリティを追求したバルザックの作品群は、卓越した小説であるとともに、19世紀フランス社会そのものを映した「鏡」であり、貴重な歴史資料とも言えます。
法律を学ぶためにパリへやってくるも、出世欲にまみれ、上流階級を目指す野心家の学生・ラスティニャック。商売で財を成し、娘たちに惜しみなく愛情と財産を注ぐが、その娘たちに疎まれる・ゴリオ爺さん。裏社会に生き、パリの表社会を冷静かつ皮肉混じりに見つめる謎の男・ヴォートラン。
革新的な手法や深い洞察力、そして何よりも文豪バルザックが注ぎ込んだ情熱を感じてください。
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
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