そこはネバーランドではなく、ウェンディもティンカーベルもフック船長もいない。
もうひとつのピーター・パンの物語。
みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「ピーター・パン」(バリー)の作品背景をご紹介します。
あらすじ
人間はみな、生まれたばかりのころ鳥だった。鳥だったころのことが忘れられず、母親のもとを飛び出した赤ん坊ピーター。ロンドンのケンジントン公園で暮らすうちに、妖精たちと仲良くなるが。ファンタジーの傑作。
作品の詳細は光文社古典新訳文庫のHPで。
ピーター・パン
ピーター・パンが登場する作品はいくつかあります。みなさんが思い浮かべるのは、
戯曲「ピーター・パンあるいは大人になりたくない少年」(Peter Pan or the Boy Who Wouldn’t Grow Up)
あるいは、
小説「ピーター・パンとウェンディ」(Peter and Wendy)
ではないでしょうか。
いずれも、ジェームス・バリーによる作品で、ピーター・パンが、ウェンディやティンカーベルとともに、ネバーランドでフック船長と対決する冒険物語です。
しかし、今回ご紹介するのは「ピーター・パン」(Peter Pan In Kensington Gardens)で、作品の趣きがかなり異なります。
もともとは「小さな白い鳥」という作品の中で描かれたいくつかのエピソードに、ピーター・パンが登場します。そのエピソードをひとつの作品にまとめ直したものが「ピーター・パン」(Peter Pan In Kensington Gardens)です。
※新潮文庫では「ピーター・パンの冒険」、光文社古典新訳文庫では「ケンジントン公園のピーター・パン」と表記されています。
ジェームス・マシュー・バリー
1860年、イギリス・スコットランドで生まれました。父親のデイヴィッドは織物製造に従事していたそうです。
文学に興味を持っていたバリーは、エディンバラ大学で文学を学び、卒業後は新聞社に勤務しながら、劇評や小説を寄稿していました。
やがてロンドンに出て作家に専念。故郷スコットランドを舞台にした作品「オールド・リヒト物語」が評判となり、人気作家の仲間入りを果たします。
戯曲も手掛け、その縁で、女優メアリー・アンセルと知り合い、1894年に結婚しました。やがてバリーの生涯に大きく関わってくることになるディヴィス家の人たちと知り合ったのはこの頃です。
1902年に出版した小説「小さな白い鳥」にピーター・パンが初登場します。1904年、戯曲「ピーター・パンあるいは大人になりたくない少年」が発表・上演され、大人気となりました。1906年「小さな白い鳥」からピーター・パンのエピソードを抜粋して「ケンジントン公園のピーター・パン」として出版し、1911年には、ピーター・パンの物語最終版として小説「ピーター・パンとウェンディ」を発表しました。
その後も精力的に作品を発表するとともに、母校・エディンバラ大学の学長を務めるなど、教育分野にも尽力しました。
そして1937年、ロンドンの介護施設で亡くなりました。
バリーは存命中に、「ピーター・パン」関連作品の権利を、ロンドンにあるグレート・オーモンド・ストリート子供病院に寄贈していたそうです。
ルウェイン・デイヴィス家
アーサーとシルヴィアの夫妻、そして5人の息子たち、ジョージ、ジャック、ピーター、マイケル、ニコラスは、ピーター・パンの物語成立に、大きな役割を担いました。
1897年、バリーは当時暮らしていた家の近所にあるロンドンのケンジントン・ガーデンズに、しばしば犬の散歩に出掛けていました。そこで、兄弟の中の3人、ジョージ、ジャック、ピーターと知り合いになり、やがて家族ぐるみの付き合いになっていきます。バリーは物語を話して少年たちを楽しませたそうです。
ジョージとジャックを楽しませるために作られた話の中に、彼らの弟ピーターは空を飛べるという話があり、これをヒントに空を飛べる少年ピーター・パンの物語が組み立てられていきました。
アーサーとシルヴィアが若くして病死した後は、バリーが子供たちの生活費や教育費を支援したそうです。ピーター・パンのモデルとなった3男ピーターは「本物のピーター・パン」と呼ばれたそうです。
ケンジントン・ガーデンズ
ロンドンにあるハイド・パークの西にある王立公園です。面積は111ヘクタールもあります。東京ドーム24個分!!。
現在、公園内のケンジントン宮殿にはウィリアム王子が住んでいます。以前は、チャールズ皇太子とダイアナ妃も住んでおり、公園内には、ダイアナ妃記念噴水やダイアナ妃メモリアルプレイグラウンドなどがあります。
ケンジントン・ガーデンズ公式HP(英語)には、公園内の写真や地図がありますので、ご覧になると作品の雰囲気がつかめると思います。
大人になりたくない少年
バリーの兄デイヴィッドが事故で亡くなった時、母親はとても落胆したそうです。母親を慰め、兄デイヴィッドの代わりに気に入られようと、バリーは手を尽くしたそうです。
ある日、バリーが母親の部屋に行くと、彼女は「デイヴィッドなの?」と問いかけました。「違うよ、デイヴィッドじゃない、ジェームス(バリー)だよ。」と返答しました。
母親の回顧録の中で、バリーはそう記しています。当時6歳だったバリーが感じた寂しさを思うといたたまれない気持ちになります。
この時の気持ちが、永遠の少年ピーター・パンへとつながっていったのだと思います。
みなさん、永遠に少年のままでいたかったですか?
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
光文社古典新訳文庫「ケンジントン公園のピーター・パン」には、訳者・南條竹則による解説が収録されていて、ピーター・パンの「パン」について詳細な考察が展開されています。興味のある方は、是非ご一読ください。
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