みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「桜の園」(アントン・チェーホフ)の作品背景をご紹介します。
あらすじ
5年振りに故郷である領地「桜の園」に帰ってきた貴族の女主人・ラネーフスカヤ。しかし積み重なった借金で「桜の園」は競売に掛けられようとしていた。
作品の詳細は新潮社のHPで。
アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ
少年期に一家破産を経験したチェーホフは、生活費を得るために、モスクワ大学医学部在学中から、短編小説を執筆し雑誌に投稿していました。
やがて、その才能を認められ、本格的に短編小説作家としてのキャリアをスタートさせます。
当時のロシアにおいては、ドストエフスキーやトルストイに代表される長編作品こそが小説であるという考え方が主流であり、そのような状況の中で質の高い短編小説を数多く発表し続けたチェーホフは貴重な存在でした。
その後、戯曲を発表し、徐々に名声を高めていきます。
サハリン
1890年チェーホフは当時流刑地として使用されていたサハリン島を訪ね、3ヶ月間滞在しました。島内を徹底的に調査し、のちに「サハリン島」というルポにまとめて出版します。
囚人たちの過酷な生活を目のあたりにしたこの旅行は、チェーホフにとって大きな転機となり、その後の作品に多大な影響を与えることになりました。
チェーホフ「四大戯曲」と言われる「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」そして「桜の園」は、いずれもサハリン旅行後に発表された作品です。
モスクワ芸術座
サハリンからモスクワに戻ったチェーホフは、医師として診療をおこないながら、精力的に戯曲を発表します。
モスクワ芸術座で上演された「かもめ」は人気を博し、以後「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」を発表します。そして1904年最後の作品となる「桜の園」がモスクワ芸術座で上演されます。
しかし持病である結核が悪化し、間もなく療養先のドイツで44歳の生涯を終えました。
これは喜劇だ
1861年にロシア皇帝のアレクサンドル2世は農奴解放令を発します。それによって土地に縛り付けられ、土地所有者である貴族に貢いでいた農民は、自立することが可能になりました。
「桜の園」に登場するロパーヒンは、元々ラネーフスカヤの農奴でしたが、自立することで才覚を現し、財産を築いていきます。
ラネーフスカヤは、そうした世の中の動きを理解することができず、収入が減っても従来通りの贅沢な生活を続け、借金を積み重ねていきます。
貴族が堕ちていく様子は明らかに悲劇なのですが、チェーホフは「これは喜劇だ」と主張します。
作中随所に道化役が登場し、とぼけた台詞廻しが笑いを誘いますが、そうした些末なことではなく、時代の流れに取り残され、無邪気な貴族が堕ちていく姿こそ滑稽であり、それを指して喜劇といったのかも知れません。
響き渡る斧の音。みなさんにとってこの物語は喜劇ですか?
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
戯曲の読み方
戯曲を読み慣れていない方に簡単なアドバイスを。
戯曲は舞台で上演されることを前提に書かれています。ですから、みなさんの頭の中に舞台を作っちゃってください。
戯曲には、登場人物が話す「台詞」と、登場人物の動きや舞台装置等の指示である「ト書き」があります。
先ほど頭の中に設置した舞台に、「ト書き」で指示された事項を加え、登場人物を配置します。これで文字通り舞台が整いました。
あとは登場人物に「台詞」を喋らせればOKです。
(頭の中で)お気に入りの役者さんに演じてもらえば、世界で唯一のみなさんオリジナル作品が上演されますよ。
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