小説としてのストーリーはありますが、作品の大部分は、19世紀中頃における、鯨に関する知識およびリアルな捕鯨の様子を描いた、博物誌といってもいい内容で占められています。
銛を突き刺したり、捕獲後に解体したり、捕鯨の様子が生々しく描かれています。そのようなシーンが苦手な方にはお勧めできません。
みなさん、こんにちは。めくろひょうです。
今回は、「白鯨」(メルヴィル)の作品背景をご紹介します。
あらすじ
アメリカ最大の捕鯨基地・ナンタケットにやってきた俺。宿で知り合った巨漢・クィークェグとともに、捕鯨船ピークォド号に乗り込んだ。
その船の船長エイハブは、モービィ・ディックと呼ばれる白いマッコウクジラに片足を食いちぎられ、鯨の骨で作った義足を装着していた。復讐に燃えるエイハブは、モービィ・ディックを探すため、大海原に乗り出す。
当時の、鯨や捕鯨に関する情報満載の、貴重な資料。
作品の詳細は新潮文庫のHPで。
ハーマン・メルヴィル
1819年、ニューヨークで生まれました。父親は裕福な商人でしたが、商売に行き詰まり、負債を抱えたまま亡くなってしまいます。通っていた学校は中退せざるを得ず、働きに出ますが、家庭の経済状況は改善せず、20歳の頃、船員になりました。
捕鯨船アクシュネット号の乗組員となったことを皮切りに、何隻もの船に乗り、太平洋を航海しました。
1844年、陸上生活に戻り、波乱万丈だった航海の経験をベースに、海洋小説を執筆。1851年「白鯨」を発表。しかし作品が評価されることはなく、作家として生計を立てることはできませんでした。
ニューヨーク税関の職を得て、細々と生活をしていましたが、長男・次男を相次いで亡くすなどの不幸が続きます。遺作「ビリー・バッド」を完成させることなく1891年、亡くなりました。
メルヴィル再評価
残念ながら生前には評価されることのなかったメルヴィルですが、死後30年以上を経て、脚光を浴びることになりました。きっかけのひとつとされているのが、1921年に発表された「ハーマン・メルヴィル航海者にして神秘家」です。
著者のレイモンド・ウィーバー教授は、メルヴィルの孫娘エレノア・メトカルフの協力を得て、メルヴィルが残した文書を研究。あまり知られることのなかったメルヴィルの姿を描き出しました。遺作「ビリー・バッド」の原稿を発見したのもウィーバー教授だといわれています。
こうして起こった再評価の流れの中で、全集が発行されたり、「白鯨」が映画化されたりしました。現在メルヴィルは、アメリカを代表する作家として位置付けられています。
代表作である「白鯨」は、サマセット・モームによる「世界の十大小説」にも選出されています。
地球上最大の動物クジラ
地球上最大の動物であるクジラ。現在確認されているシロナガスクジラで最大の個体は、長さ29.9メートル、体重199トン。みなさん想像できますか?
東京上野・国立科学博物館の屋外に原寸大の模型が展示されています
クジラは大きくふたつの種類に分けられ、シロナガスクジラなどのヒゲ(髭)クジラと、「白鯨」に登場するモービィ・ディックことマッコウクジラなどのハ(歯)クジラです。
ちなみに小型のハクジラをイルカと呼びます
クジラが高い知能を有していることは、みなさんご存じの通りです。学習能力を持ち、計画を立て、仲間と協力する。また、悩むこともあると言われています。
マッコウクジラ(オス)の脳の平均的な重量は7.8キログラム(地球上の動物で最も重い)。人間の6倍もあります。
19世紀中頃の捕鯨
捕鯨大国ノルウェーでは、紀元前3000年頃に描かれたと推測される鯨の壁画が見つかっています。このような資料により、先史時代から、人間と鯨の関係は始まっていたと考えられています。
沿岸部でおこなわれていた捕鯨は、次第に、大型船を使って遠洋に出ておこなわれるようになります。「白鯨」の舞台となった19世紀中頃には、作中に描かれているように、大型帆船に捕鯨ボートを積み込んだスタイルとなり、世界中の海に繰り出していきました。
エンジンもないレーダーもない船に大量の水を積み込んで、どこにいるかもわからない鯨を目指して大海原に出航する。チャレンジャーですね。
ちなみに各地で必要な物資を補給しながら、数年にわたって航海を続けたそうです。
質の良い鯨油が採れるマッコウクジラが主な捕獲対象で、太平洋が中心的な漁場になりました。日本周辺は良質な漁場であると評判になり、世界中から多数の捕鯨船が集まりました。
しかし当時の日本は江戸時代末期。鎖国が続いていて、捕鯨船たちは必要な物資を日本で調達できませんでした。こうした不便を解消するためにアメリカ政府が動き、やがて日米和親条約締結へとつながっていきます。
「白鯨」のピークォド号が航海をしていた19世紀中頃は、商業捕鯨の最盛期で、捕鯨船の母港となったナンタケットやニュー・ベッドフォードは大いに栄えたそうです。
やがて、ペンシルベニアで油田が発見されて鯨油の需要が減ったことや、カリフォルニアでゴールドラッシュが起こって労働者が転職したことなどにより、アメリカの捕鯨は衰退していきました。
ピークォド号
アメリカ人(白人)、アフリカ系アメリカ人、ネイティブ・アメリカン、ポリネシア人、インド人、マレー人、オランダ人、イタリア人、中国人など、様々な人種、様々な国籍、様々な宗教を持った男たちが、一獲千金を夢見て、ピークォド号に乗り込みます。
現代の感覚でいえば「無謀」としか言いようのない航海です。
みなさんもチャレンジしてみますか?
冷静沈着・ピークォド号の一等航海士スターバック。みなさん、毎日彼の名前を目にしていますよね。そうです。彼はスタバの由来となった人物です。
以上、めくろひょうでした。ごきげんよう。
映画化作品
白鯨との闘い
原作:ナサニエル・フィルブリック『復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇』
監督:ロン・ハワード 主演:クリス・ヘムズワース
作家ハーマン・メルヴィルは、かつて捕鯨船エセックス号に乗り、巨大な白いマッコウクジラと戦ったトーマスという男を訪ねた。彼から聞いた壮絶な実話をヒントに、メルヴィルは「白鯨」執筆に取り掛かる。
日本メルヴィル学会
メルヴィル研究の情報はこちらのHP
一般社団法人 日本捕鯨協会
捕鯨に関する情報満載のHP
参考文献
19 世紀後半期アメリカ式捕鯨の衰退と産業革命 大崎晃
研究ノート『白鯨』 岩見貴之
1920年代のメルヴィル・リバイバル再考 西谷拓哉
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